TOMIさんの湯布院映画祭レポート07(第32回)

 今年も、待ちわびていた『湯布院』の夏がやって来ました。  と、その前に。冒頭からいきなり脇道に逸れてしまいますが━━。私は2005年2月『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』に初参加し、たちまち虜に。何年後かの再訪を固く心に誓ったものの、同映画祭は昨年6月頃に中止が発表されてしまい、昨夏の『湯布院』の前は、少なからず沈んだ気持ちが続いていました。あれから1年。嬉しいことに、『ゆうばりファンタ』の復活が正式決定! 開催は、来年3月になります。19日(水)から23日(日)まで。実は、ちょうどその時期、私は『高崎映画祭』への初参加を決めているのです。2005年の『ゆうばり』に一緒に参加した友人が、昨年の夏、東京から高崎へ転勤になった事もあり、ちょうど良い機会だと思って。が、友人は、数年前から毎回参加し続けてきた大の『ゆうばり』ファン。来春の同映画祭にも、復活を祝してきっと足を運ぶことでしょう。私も、彼がたぶんそうするであろうと読み、私に付き合うことなく、『ゆうばり』を優先してくれれば良いからと既に伝えていますし。数年後には私も必ず再訪するであろう『ゆうばり』が、どういう形で復活を遂げたのか、友人に直接体験してきてほしいのです。また、祝って駆けつける観客が1人でも多くなるようにと。
 肝心の『湯布院』の話題には、いつ入るの? ━━申し訳ないことに、まだなのです。次は『甲賀映画祭』について。私は、昨夏の『湯布院』の会場でお会いした『宮崎映画祭』実行委員のSさんにお誘い頂き、昨年10月にミクシィに入会。今夏の『湯布院』では、「かぞくのひけつ」という大阪を舞台にした新人監督のデビュー作が試写作品の1本として上映されるのですが、同作は10月に第3回が開催される『甲賀映画祭』にも招待される事が決まっているのです。そういうつながりから、最近ミクシィの方で『甲賀映画祭』実行委員の方と知り合いに。

 今年で第32回を迎える『湯布院』は、日本で最古の映画祭だけあって、パンフレットの充実度もかなりなもの。昨年こそ試写作品が少なかったこともあり70頁ほどでしたが、それ以前の4〜5年は毎年100頁超のボリュームを誇っていました。もちろん、内容の濃さも相当なレベル。映画仲間の友人・知人へのお土産としても喜ばれ、購入冊数は年々増加。何冊も持ち帰るには荷物になってきたため昨年はとうとう現地から発送することになったのでした。今年は、ミクシィの方で映画仲間が一挙に増え、送り先はとうとう2桁にまで! 一番新しい送付先は━━『甲賀映画祭』の事務局。前述した同映画祭実行委員の方に、「良ければ『湯布院』のパンフをお送りしましょうか」と尋ねたところ、すごく喜んで下さったのです。代りに、『甲賀映画祭』の過去2回の公式ガイドを頂戴することに。既に届けてもらっており、その豪華な仕様にはびっくり。上映作品のラインナップも意欲的だし、こうして実行委員の方たちともお知り合いになれたしで、行ってみたい映画祭がまた一つ増えてしまったのでした。  一方、送付の要・不要が流動的な宛先が、二つ。当初は今年の参加は無理だと言っていた高崎在住の友人と『宮崎映画祭』実行委員のSさんに、ここへきて、参加の可能性が出てきたのです。そして、Sさんは見込みより早くご参加がまず確実に。1年ぶりの再会が叶います! 高崎の友人の方は、直前にならなければ最終的な決定は無理な様子。宿はどうする? ━━そこで威力を発揮するのが、私が昨年から利用している素泊まりの宿。安いのも魅力ですが、こういう事態を想定してのこの宿の選定でもあったのです。ここは、全てが定員3名以上の部屋。そこを私1人で使うようになっているため、相部屋で構わないなら、友人の最終決断が例え当日になったとしても、泊まる所は大丈夫なのです。

 本筋へ戻りましょう。8月22日(水)から26日(日)まで開催される今年の『湯布院』の特集は【日本映画の美の記憶〜大映京都撮影所が遺したもの〜】。同撮影所がなくなったのは1971年であり、それまでの間にここで撮影された昔の作品の数々が上映されると共に、田中徳三監督や著名な技術スタッフの方々と、現在公開中の「夕凪の街 桜の国」にも出演しておられる藤村志保さんをゲストにお招きします。22日(水)の前夜祭で野外上映されるのも当然、大映京都作品の 「大魔神怒る」(1966年/ヒロインは藤村志保さん)。 私がまだ1度も体験した事がないのが前夜祭で、今年も無理なのですが、この「大魔神怒る」は、 私が参加した過去6回に比べても一番観たい作品。野外上映にも、ふさわしいですし。いつか前夜祭から参加する年にも、こういう作品に出迎えてもらいたいものです。

 試写作品は、昨年より1本多い、5本。「実録・連合赤軍」(若松孝ニ監督)は3時間10分という大長編ですから、実質は5.5〜6本分と言っていいでしょう。クロージングは、7月下旬にニューヨークでワールドプレミアが行われた「やじきた道中 てれすこ」(平山秀幸監督/主演:中村勘三郎,小泉今日子,柄本明)。また、当初は「サッドヴァケイション」の方が確実視されていた青山真治監督作は、同作が『湯布院』の直後に開催される『ヴェネチア国際映画祭』でワールドプレミアとして上映される事になったためか、その前作の「こおろぎ」がこちらに出品される事に。石井隆監督の「人が人を愛することのどうしようもなさ」は、たぶんまだ仕上げ作業の真っ最中の筈。完成したばかりのものが、初の一般試写として『湯布院』で上映されることになりそうです。主演女優は、喜多嶋舞さん。きっとゲストで来場して下さると信じていたのですが・・・。残念ながらスケジュールの都合で、実現せず。ために、開幕を1週間後に控えた現在でも、まだ目玉となる女優ゲストが決まっていないのです。どうか、近々に朗報がもたらされますように!

 試写作品の残りもう1本は、「かぞくのひけつ」という大阪発の映画。私が一番楽しみにしているのが、この作品なのです。関西地区では既に公開済みですが、東京は秋以降のため、試写作品扱いにされたようです。初メガホンの小林聖太郎監督は、本作の演出により見事【日本映画監督協会新人賞】を受賞(その年度に1人だけ選ばれるもの)。監督とは、映画のオフィシャルHPの方で3〜4回やり取りさせて頂いており、パーティー会場等で色々お話し出来たらなと期待しています。

 ところで、今年また一つ新たな楽しみが生まれました。ミクシィにはコミュニティという、趣味や興味を同じくする人が集える場所があり、その中の一つに[湯布院映画祭コミュ]も。そこに登録している何人かと、土曜夜のパーティー会場内においてオフ会を開くことになっているのです。俳優ゲストの少ない寂しさを、こちらが帳消しにしてくれるかもしれません。━━『湯布院』の楽しみ方の巾が、ますます広がってきました!
 昨夏の『湯布院』では、クロージングで昨年のマイ・ベストワン作品「フラガール」に出合え、上映後思い切り拍手できる本映画祭で観られたのを心から感謝したものでした。2000年に初参加し、2002年のみ不参加だったものの、あとは皆勤し、今夏でとうとう7回目になった『湯布院』。そう、ラッキーセブン! 記念の今夏は、どんな素晴らしい思い出を、記憶のアルバムに貼り付けてくれるでしょうか。

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湯布院映画祭レポート07(1)

 4泊5日の大人の夏休み、7回目の『湯布院映画祭』から帰ってきました。振り返ると、特別大きなラッキーはなかったものの、幾つもの小・中程度の幸運が積み重なり、ラッキーセブンの名にふさわしい映画祭になってくれました。
 順不同に挙げていくと━━。雨がパラつくことや強く降る時があったものの、ちょうど上映中であったりしたため、結局一度も傘をさす必要がなかった事。パーティーの料理が昨年より充実していた事。目玉となる女優ゲストがいなかったものの、ミクシィつながりの何人もの女性たちに会場で出会え、その不満を感じずに済んだ事。半分は希望的観測として期待していた「かぞくのひけつ」が、今映画祭でのマイ・ベストになってくれた事。同作に出演していた女優・ちすんさんに深く魅了された事。私が応援している脚本家・今井雅子さんを通じて間接的に存じ上げていた、今年の映画祭ポスターの原画を担当された安井寿磨子さんが予定外のゲストとして来場され、お話させてもらうと共にサインも頂戴した事。急遽私と同じ4日間の参加が実現した友人と2年ぶりに再会でき、彼が私以上に大満足してくれた事。ファイナルパーティーの締めでの実行委員長の挨拶で、今後の嬉しい予定が発表された事・・・等々。具体的にレポートを綴っていけば、これ以外にも思い出すことがあるでしょう。
 さて、そのレポートについて。ここ2〜3年、毎回反省しているのですが、申し訳ないことに、今回も長編になってしまいそうです。昨夏は、クロージング作「フラガール」が一般公開された9月下旬に何とか完成に漕ぎつけました。今年も、10月になる前にまとめ上げることが出来ますように! 良ければ、大人の夏休みの日記帳を覗いていって下さい。

 出発は今年も木曜日、23日の午前です。例年なら『青春18きっぷ』を利用した早朝出発の普通列車の旅ですが、今年は仕事の関係で朝の内どうしても会社に出なければならなかったので、それを終えてから、岡山駅10時38分発の新幹線に乗り込みます。これだと交通費が1万円ぐらい余計にかかりますが、とにかく例年通り4泊5日の日程で『湯布院』に参加できるだけでも有難いこと。実は、27日(月)の休みも取り消されそうになっていたのです。23日早朝の出勤を受け入れる代わり、27日は何とか申請通り休みに。この、ちょっとしたすったもんだが、毎年参加できるのを当り前と思うようになっていた私の意識を揺さぶってくれ、今回の本映画祭には新鮮な気持ちで臨めたのでした。
 小倉駅で特急に乗り換え、大分駅へ。道中はずっと曇天でしたが、大分駅のホームに降り立つと、薄日が差していることに気づきます。14時06分発、由布院駅行きの普通列車は、日中で乗客があまりいない時間帯のため、1輌のみ。黄色い車体と、たった1輌ということに、つい笑みが。冷房は、ちゃんと作動してました。由布院駅着は、15時23分。今年は15時40分から【日本映画職人講座 美術】がプログラムされているため、例年より早めの到着です。まずまずの天気。後から聞いたところによると、前夜の「大魔神怒る」の野外上映会は、雨により中止になってしまったのだとか(屋内での上映に変更)。
 徒歩で3分程の、映画祭の会場[湯布院公民館]へ。高崎から参加の友人は飛行機での当地入りのため、既に到着している筈。玄関を出た壁際の辺りで、脚本家の荒井晴彦氏がタバコを吸っておられます。正式ゲストでない今回のような年も、自費で毎回参加して下さっており、今や氏のいない『湯布院』は考えられません。今年からロビーが完全禁煙となったため、やむなくここで喫煙しておられたようです。氏とは、昨年12月に初参加した『函館港イルミナシオン映画祭』の会場でお話しして以来。今は軽く頭を下げたご挨拶だけして、会場内へ入ります。

 玄関を入ったすぐ横に、高さ2m程の大魔神のレプリカが展示され、参加者たちを出迎えてくれます。これは、今映画祭のためにと、主に実行委員の皆さんのカンパによる資金で、こういう技能を持っている某実行委員が製作してくれたようです。凄い・・・! 販売コーナーには、パンフレットや毎年作製している映画祭Tシャツ、今年のゲストや特集に関連した書籍等が並べられています。
 私はここ3年ほど、映画祭を運営していくための支援金に協力しており、昨年に引き続き今年も、開幕の3日ほど前に出来たてほやほやのパンフレットが自宅まで届けられました。出発前に、嬉しく読了。一昨年は会場で受け取ったのですが、昨年は試写作品が少なくパンフの頁数も例年に比べ30頁も少ない70頁程だった関係で刷り上るのが早かったからか、自宅へ送られてくる事に。今年は90頁程に戻りましたが、昨年と同時期ぐらいに完成したので、発送してくれたのでしょう。待ち焦がれている映画祭ですから、パンフを1日でも早く読めるのはかなり嬉しいこと。これがポイントとなり、今年も支援金の協力を継続する者がいるかも。━━私です。
 パンフは映画仲間の友人・知人へのお土産としても喜ばれ、購入冊数は年々増加の一途。持ち帰るのが荷物になってきたため昨年は、とうとう現地から発送したのでした。今年は━━。昨年10月にミクシィ入りし、映画仲間が一気に増えたことで、送付先は遂に2桁に! 当然、現地からの郵送となり、バッグには切手を貼付した大判封筒を用意してきています。ということで、今年のパンフを数冊求め、それから・・・。例年並べられているバックナンバーが見当りません。ミクシィで知り合った映画仲間は、ほとんどが私と同じ「フラガール」ファンであり、その人たちには、クロージングで同作が上映された昨年のパンフを送ることにしているのです。尋ねると、単に持ち込むのを忘れていただけのようで、明日には入れておきますとの事。今晩、宿で封入し、発送準備を整えておきたかったのですが、まあ入手不能とかではないのですから、これぐらいは我慢です。

湯布院映画祭レポート07(2)

 そうこうしている内、「女殺油地獄」(1992年/五社英雄監督)の上映が終了し、観客がロビーに出てきます。その中に、2年前の本映画祭に一緒に参加して以来となる高崎の友人の姿も。開口一番、今朝は3時起きで羽田空港に向かったのに、飛行機が遅れたとぼやき。「でも、ちょっと前まで全然考えてもいなかった『湯布院』にやって来られたんだから、まあ、いいか」。再会を喜び合い、【職人講座】の開かれる2階へ移動します。友人も、パーティーを含む全プログラムに入場できる全日券(25,000円)を購入済み。名前入りのパスを首から下げています。

■23日(木)■ ≪日本映画職人講座【美術】・・・ 15:40より≫

 入口で、紙コップに入った麦茶をもらい、折り畳みイスが並べられた会場内へ。全日券を持っていない参加者は、この講座やシンポジウムには300円必要です。
 今年の特集は、”日本映画の美の記憶 〜大映京都撮影所が遺したもの〜”。以下、リーフレットから転載させてもらうと、【1950年代、大映京都撮影所は「羅生門」「雨月物語」「地獄門」といった作品で、世界に日本映画のレベルの高さを知らしめた。大映京都は正に、映画という夢の工房であった。そこは、監督・俳優といった世間の注目を浴びる華やかな存在だけでなく、美術・撮影・照明等、裏方だが同時に映画の根幹である映像を支える高い技術を備えた職人たちが結集。これにより同所製作の作品は、多くが2本立て用通俗娯楽作(プログラム・ピクチャー)の 時代劇であったにもかかわらず、演出や演技による面白さに加え、情緒溢れるセットや柔らかい光と陰といった日本固有の美を見事スクリーンに再現。そのクオリティの高さは当時、他の映画会社の追随を許さなかった。この稀代の映画の聖所は1971年、大映本社の倒産により姿を消したが、そこで培われた技術と美学を身につけた映画人たちは、現在に至るまで日本映画を支え続けている。
 今年の湯布院映画祭は、大映京都撮影所で活躍した田中徳三・藤村志保といった監督・スターに加えて、西岡善信(美術)・森田富士郎(撮影)・中岡源権(照明)の皆さんを迎え、映画の表と裏から大映京都撮影所とそれが遺したものを顕彰する。】



 本日と明日の2日間に上映される旧作は、大映京都に関係したものばかり。今日は、午前10時から「越前竹人形」(1963年/大映京都作品)、次に「小太刀を使う女」(1961年/大映京都作品)。「女殺油地獄」(西岡・森田・中岡の3氏がスタッフとして参加)は3本目の作品だったのです。前夜祭の「大魔神怒る」も、大映京都で撮られたものでした。

 参加者は予想を軽く上回り、100名ほどにも。入口で資料が渡されるのですが、すぐに足りなくなり、慌ててコピーして、講座中に実行委員が配って回っていました。年配の参加者の多い本映画祭ですから、今年の特集への食いつきはなかなか良いみたいです。 いや、年配のファンばかりではありません。30代・40代の女性の姿も目立ちますし、 会期中には日本映画の旧作マニアだという何人もの20代の参加者たちと知り合いました。 また、ミクシィの『湯布院映画祭コミュニティ』には、大映京都特集に惹かれ、 本日の仕事を終えたその足で東京を発ち、今日中に何とか九州入りし、 明日めいっぱい参加した後、土曜日には仕事の関係ですぐまた東京へ戻る予定との、”今回が初参加”という女性の書込みも。私や、他の常連参加者が、勝手の分らない彼女からの色々な質問にお答えしましたが、果たして、願い通りおいでになれるでしょうか?

 前に座っておられるのは、本日の講師である西岡善信氏です。日本映画の美術における重鎮のお1人。最近、別の仕事現場で氏のお姿を見たミクシィの友人が、”元・校長先生であったような方”と表していました。今年で85歳ですが、背すじもぴんと伸びており、大変お若いです。体力勝負の映画界で、ずっとお仕事されてきただけのことはあります。司会役は、実行委員の男性。
 美術にける第1の作業は、シナリオを元にデザイン画を描くこと。最終的には、建築の設計図のように寸法まで入れた詳細な図面の作成が必要です。現在、由布院駅アートホールでは、氏がこれまで手掛けられた作品の中から30点のデザイン画と、それを元に建てられた実際のセットや建築物の写真等を展示中(無料)。明日の朝にでも、足を運ばなければ。

 西岡氏が美術助手として最初についた作品は、伊藤大輔監督の名作「王将」(阪東妻三郎主演/1948年)。撮影所で、製作が進行中の各組の一覧が書かれたボードを見ていたら、助監督の加藤泰(後の人気監督/故人)に肩を叩かれ、伊藤組に参加することになったのだそう。実は、岡山からの車中で読んでいたのが、「純情無頼 小説阪東妻三郎」(高橋治)という文庫本であり、「王将」のことも冒頭に出てきていたので、嬉しい偶然にちょっとしたラッキーを感じます。氏は、平安時代からの膨大な文献や絵巻物なども読み、各時代の建築等を勉強されたのだとか。「大変な作業だったので、今の若い人には同じ事をやれとは勧められませんね」。ポイントとなる部分だけピックアップして教えておられるとの事。
 参加者に渡された資料というのは、特集で上映される映画から3本を選び、シナリオの一部とそのシーンのスチルを併載したもの。西岡氏の後ろ、幕を引いた窓際には簡易スクリーンがセットされているので、プロジェクターで該当のシーンを映写し、シナリオの記述内容から美術がどういう風に発想し形にしていくかの具体的説明を受けます。詳細は省きますが、豆知識を一つだけ記しておきましょう。屋外シーンをセットで撮るのを野面(のづら)と言います。主に、外では撮れないラブシーンのためだったり、真冬で寒すぎる時の撮影に対応するためなど、の理由によるものが多いのだそうです。

 西岡氏の話し方はとても穏やかで、たぶん現場でも怒鳴ったりされる事はないのでは。昼間は、湯布院を散策。「ここは、木の格好がいいですね。太い木と細い木とのバランスがいいんです」。もちろん、お仕事に活かすためでもあります。但し、写真に収めたりはせず、頭の中にしっかりとご記憶。ますます、”お若い!”と唸ってしまいます。1時間半の講座も、あっという間。「監督の意向通りでなく、常にそれを上回るものをめざしています」との締めのお言葉に、場内から大きな拍手が。氏の嬉しそうな表情を見ると、こちらまで口元が緩みます。本映画祭は毎年のように、表舞台に出る機会の少ない”映画を裏方として支える”方々にスポットライトを当てるのが素晴らしい所。私が、夏になるとここへ帰って来ずにはいられない理由の一つでもあります。

湯布院映画祭レポート07(3)

 時刻は17時10分。試写作品の上映開始まで約1時間ありますから、友人と2人、チェックインのため宿へ向かいます。偶然ネットで見つけ、昨年から利用している素泊まりの宿(1泊3,000円)。民家を改装し、1軒あたり客室を3〜4部屋設けており、それが向かい合わせに2軒あります(もっとあるのかも)。途中、コンビニに寄り、ペットボトルの飲物を2〜3本購入。宿は、田んぼのあぜ道を通っていくような場所にあり、近くに自動販売機など設置されていませんから、共用スペースの台所にある冷蔵庫に入れておくためのものです。
 会場から歩いて12〜13分。着くと、ちょうど宿のお父さんが、家の前の路上で、1人の若い女性客の受付をしているところ。後で、この女性も映画祭の参加者だと判明し、親しくなるのですが、それはまた明日以降の話に。お父さんに案内され、さっきの女性とは別棟の建物に入っていきます。昨年とは別の部屋。比べると、少し小さめか。昨年は3人ぐらい泊まれる部屋を1人で使っていましたから。まあ、連日夜中の0時頃帰ってきて寝るだけだし、2人には十分の広さなのでOKです。友人と一緒に参加した2年前は、事務局を通じて予約した映画祭御用達の宿でした。他の参加者たちと、多い日で6人ぐらいが相部屋となる所(1泊朝食付き5,800円)。後から申し込んだ友人とは別々の部屋だったのですが、彼の方は、常連参加者の長老たち(彼の言)が遅くまで映画談議を繰り広げていたので、ちょっと参ったのだとか。
 素泊まりの宿は値段が値段なので、それなりではありますが、静かさは太鼓判。ちゃんと温泉もひいてあり、一晩中入れるので、友人もまずまず気に入ってくれたのでは。荷物を置き、携行用の小バッグを持って、会場へとんぼ返りです。あぜ道から、川沿いの普通の道へ。とても涼しく、もし急ぎ足になったとしても、汗をかかなくて済むぐらい。ここ湯布院は標高が確か500mぐらいの地。1,584mの由布岳がすくそばに迫っていますし、周りも当然、山、山、山・・・。そして横には、川の流れ。「マイナスイオン出まくりで、絶対、空気いいよな〜!」と、友人は深呼吸を繰り返します。

■23日(木)■ ≪特別試写「こおろぎ」・・・ 18:15より≫

 18時15分から始まるのは、1本目の試写作品・青山真治監督の「こおろぎ」です。今年は全部で5本の試写作品が上映されますが、本作は7月下旬にようやく”最後の試写作品”として発表されたもの。当初、青山監督の新作の試写は「サッド ヴァケイション」の方が確実視されていました。毎月発行されている映画祭の会報的な冊子『メイムプレス』(支援金協力者へも送付されているもの)に、「サッド〜」の出品交渉に入っている旨の中間報告も掲載されていたからです。それが、「サッド〜」の前作である「こおろぎ」に突然の変更。
 実は「サッド ヴァケイション」は、本映画祭終了後の8月下旬より開幕する『第64回ヴェネチア映画祭』への出品が決まっており、同映画祭でワールドプレミアが行われるそうなのです。それより早い上映はまずいという事にでもなったのでしょうか。本作の舞台は、北九州。青山監督の初期の作品である「Helpless」や、代表作の「EUREKA ユリイカ」とつながった物語のようで、この”北九州3部作”を、今夏の『湯布院』の目玉としてまとめて上映する話もあったみたいですが、私にとって有難いのは「こおろぎ」の方。「サッド〜」は東京では9月8日(土)からの公開になっており、私の住む岡山市のミニシアターでも時期未定ながら公開自体は決定済みであるからなのです。「こおろぎ」は昨秋(2006年)の『東京国際映画祭』で上映されたものの、一般公開は現在に至るも実現せぬまま。いつ観られるか分らない「こおろぎ」の方を歓迎するのが、映画ファン心理というものでしょう。
 キャパ260席の場内は、7割ぐらいの入り。平日の木曜日、しかも俳優ゲストなしという点を考慮すると、なかなかの混み具合と言ってよいのでは。今年は、大映京都特集が当ったからなのか、どの作品も結構な数のお客さんを集めていたようです。上映前の舞台挨拶に、青山監督が登場━━。

 2〜3年前までの青山監督は、確か背中ぐらいまでの長髪で、 ちょっとカリスマホスト風の印象でした。それが━━。 「昔、この映画祭に観客として参加していた青山監督が、今日はゲスト監督としてやって来てくれました!」とのアナウンスを受け、袖から舞台中央へ どかどかと出てきた監督の服装は、上から、キャップ、かわいいイラスト入りのTシャツ、半ズボンに、足元はサンダル履き! しかも、ポーチまで肩からたすきにかけているではないですか。キャップの中はたぶん丸刈りと思われ、まるで大きなやんちゃ坊主。私は、監督の特にファンではありませんが、”イメージが・・・、イメージが〜っ!?”状態になりました。まあ監督は、出来上がった映画で勝負すれば、それで良いのですけど。「20年ぐらい前に3年連続でここ湯布院に参加し、勉強させて頂きました」。後で分ったところによると、その頃すでに長髪にしていたのだそう。「この映画が面白くても、つまらなくても、湯布院映画祭のせいですから(笑)。『こおろぎ』は2年前に撮りましたが、事情があって公開されていません。あ、『サッド ヴァケイション』もよろしく(笑)。残念ながら、俳優ゲストがいません。中年男が1人で出てきて、つまんない限りですよね。その代わり、映画楽しんで下さい」。
 最後に司会が、青山監督は海外の映画祭でも引っ張りだこだと紹介します。 「実は、今年6月にうちの実行委員長の伊藤が、 フィンランドの『ソダンキュラ映画祭』に日本人2人目のゲストとして招待され、 カウリスマキやキアロスタミ(どちらも世界的な映画監督)などとも一緒だったのですが、 1人目は青山監督だったんです」。監督が「伊藤さん、おめでとうございま〜す!」と 祝福を送り、舞台挨拶が終了します。

 上映会場内は、左右の通路で区切られ3つのエリアに分かれており、青山監督の大ファンだという友人に合わせて私たちの席はセンターエリアの前方辺り(私の定位置ともほぼ同じ)。「こおろぎ」は、【盲目で口もきけないある男(山崎努)の空洞のような眼に魅了され、そんな自分が恐ろしいと思っている薫(鈴木京香)は、都会から逃れ、隠者のような生活を送りながら、その男を大切に”飼って”いる・・・。日本を代表する男女優が紡ぐ、もう一つの「美女と野獣」の物語であり、世界が注目する青山真治監督が日本映画界に突きつけた問題作(リーフレットの作品紹介等より)】との事。上映が始まります━━。

 手強い映画でした。流れる空気はほとんどが穏やかだし、音楽も明るく、表面的には普通に日常を切り取っているかに見えるのですが、実は核となる部分は不思議のかたまり! 全てに理屈をつけ、理解しようとすると、消化不良を起してしまうでしょう。映画に正しい見方などありませんが、本作は”感覚で観る”のが正解に近いかなと思えます。役者の演技にも触れておくと、まず、鈴木京香がとても綺麗です。同じ仙台出身で彼女の大ファンの友人も大満足のヒロインぶり。ゲストに来て頂きたかった! 短い出番の安藤政信や伊藤歩もいいし、そしてそして、相手役の山崎努がいつも以上に”山崎努!”でした。この後のシンポジウムで皆さんからの感想や意見、それから監督の解説を聞けば、もう少しはこの映画を掴むことが出来るでしょう。
 上映後は必ず、スクリーンに拍手が送られます。映画祭の良い所であり、参加者にとっての大きな喜びでも。昨夏のクロージングで上映された「フラガール」は、思い切り拍手できる本映画祭で観られたのを心から感謝したものでした。今年も、そういう作品に出合えるでしょうか。

湯布院映画祭レポート07(4)

■23日(木)■ ≪シンポジウム(「こおろぎ」)≫

 次は、会場を2階の会議室のような所に移してのシンポジウムです。場内は折り畳みのパイプ椅子がずらりと並べられており、友人と2人、最前列をゲット。ゲスト席に近い側は当然、友人に。入口で貰った紙コップ入りの麦茶で喉を潤し、席にバッグを置いてトイレに行ってから、監督の入場を待ちます。椅子席は全て埋まり、左右や後方の壁際に立ち見の人も多数。120〜130人ぐらいが詰め掛けていたでしょうか。(全日券所有者以外は300円必要)
 やがて監督が、長机の向こう側の椅子にご着席。司会は、実行委員が交代で務めます。進め方も、シンポごとにまちまち。今回は監督の意向もあり、まず観客からの感想を聴くことに。が、皆さん、この映画をどう捉えればよいのか悩んでおられるようで、誰からも手が挙がりません。そこで、監督に製作に関するあれこれをお尋ねします。監督は、以前はほとんどご自分で書かれたオリジナルシナリオで撮られていましたが、最近は2本に1本は原作ものや他人の脚本作をやるようになったのだそう。本作も、シナリオは岩松了氏の手になるものです。原案は、プロデューサーでもある畠中基博氏。南仏かどこかに、本作の主人公のような人たちがいるのを知り、そこからふくらませたとの事。原案を聞いた山崎努氏がまず乗り気に! ああしたい、こうしたい、と様々のアイデアを出してくれ、脚本協力としてクレジットしても良いぐらいだったとか。
 そろそろ、どうか、と水を向けられると、今度は客席の何人かが挙手。感想や意見が続きます。「東京にはあれほど映画館があるのに、この映画がまだ公開されていないとは、犯罪的行為!」といった擁護派がいれば、「最初から最後まで監督の一方通行では、解りにくくてたまりません」のような反対派も。監督には、内容の解説を求めたり、題名の意味を問う質問が投げかけられますが、なかなか具体的に答えようとはされません。映画監督は、出来上がった映画そのもので語るものですし、口で言ってしまうと陳腐に堕してしまう事もありますから、心情は分ります。

 「外国人の俳優が演じた方が面白いように思える。舞台をヨーロッパの港町に移し変え、現地の俳優を使ってリメイクしたなら、もっと良い作品になるのでは」という意見も。更に、「大抵の映画は登場人物の誰かの視点になれば入っていけるが、この映画はそうはならなかった」などの好意的でない発言が優勢になると、さすがに監督の口からも徐々に本音が飛び出してきます。「必死になって、わざと解りにくい映画を作ったんです。自分でも解説してしまえないぐらいの」。
 ”撮りたいから、撮った!”というのは、ある意味とても解り易い回答。嫌な感じは受けませんでした。そういう姿勢を無意識に表わしての、今日のやんちゃ坊主みたいな服装なのでしょうか。題名の意味するところについても━━「こおろぎは毎年、代が変っていても、人間には見分けがつかず、去年と同じ奴なのかと思ってしまう。人間界での、そういう存在を描きたかったんです」。この言葉で腑に落ちた部分がかなりあります。映画を未見の方には、何がなんだか、さっぱり分らないでしょうが。最新作の「サッド ヴァケイション」は、かなりの評判を呼んでいるとの噂。「こおろぎ」で好き勝手をしたからこそ、「サッド〜」は観客の心に深く訴えかけるものになったのかもしれません。私の地元・岡山での公開が待たれます。
 ぶっちゃけたことでリラックスしたのか、監督から20年くらい前に観客の1人として本映画祭に参加していた頃の思い出話が、「当時のここのシンポは辛らつでしたねぇ」。私の初参加は2000年で、その年は堅苦しい雰囲気の場かとシンポジウムをパス。いま思えば、勿体ないことをしたものです。必ずシンポに出るようになった2001年からは、シンポで険悪な空気に包まれかけた事はほとんどありません。唯一、2002年の某作品のシンポでの監督の発言に対し、客席全体から”ふざけるな!”という反応があったみたいですが、その年だけ私が不参加だったため、詳細は不明。今日のシンポでも、たとえ本作に不満足な人からの発言であっても、聴く人を思わず緊張させてしまうような刺々しさはなし。「ここで上映されたのが、とにかく嬉しい」と監督は続けます。

 隣席の友人は、気に入らない映画だとシンポへの出席自体をパスする人間。彼が満を持してという感じで、発言を求めます。まず青山監督の信奉者であり、ほぼ全作品を観ていると自己紹介。「ずっと観たかった『こおろぎ』が上映されるからこそ、今回の映画祭への参加を決めたようなものです。とても満足しました。解らないという人に監督が反論しないなら、私が代って対決してもいいです!」。場内からは軽いどよめき。友人は血気盛んな男ではなく、大部分は冷静な理論派です。感情を露わにする時も、頭の芯では沈着さを失うことはありません。・・・・たぶん。司会者も少し興奮したように、「この後のパーティー会場は、流血騒ぎになるかもしれませんね! 久々にシンポらしいシンポになってきました」(笑)。
 友人と監督との間は、長机を挟んでいるものの2mもない至近距離。言葉以上に、友人の熱気が確かに監督に伝わったことでしょう。肯定派の旗色の悪かったシンポですが、これだけ色んな意見が聴け、監督もご満足だったのでは。締めの言葉も、「ワーストワンでもいい、無視されるのが一番つらいんです」とおっしゃっていましたから。シンポの後で観直せば、「こおろぎ」の印象は、かなり違ったものになるでしょう。1時間半あまりの、聴き応えのあるトークバトルでした。さあ、一夜目のパーティーです。

湯布院映画祭レポート07(5)

■23日(木)■ ≪パーティー ・・・ 22:00より≫

 ここ何年か、パーティー会場は曜日により固定化されています。今夜は、金鱗湖(きんりんこ)そばの[亀の井別荘 湯の岳庵]において。徒歩だと20分ぐらいかかるため、バスでの移動です。和風庭園にテーブルを並べた立食形式での屋外パーティー。友人は青山監督と話す気満々で、ゲストが案内されてくる筈のセンターテーブルへ。ここでは、変な遠慮は不要です。マナーさえ守れるならば。1テーブル当り、10人ぐらい。100人以上が参加していたでしょうか。
 予想通り青山監督は、センターテーブルへ。それから間もなく、予想外のゲスト・明日の夜トークショーを行って下さる女優の藤村志保さんが、お綺麗な着物姿で会場に入ってこられ、同じくこのテーブルにおつきになられたのです。夕方、宿から上映会場へ向かう時も涼しさを感じましたが、現在の時刻は22時過ぎ。冷房不要の快適な気温になっていますから、和服でもお暑くはないでしょう。それに、着慣れていらっしゃいますし。藤村さんはコンスタントに映画の出演作が続き、ちょうど現在公開中の話題作「夕凪の街 桜の国」でもメインキャストのお1人として名演をみせておられます。同作は単館系での公開。後で、次から次へ何人もの参加者に話し掛けられた藤村さんは、「皆さん、どなたも『夕凪の国〜』をご覧になってらっしゃるのね〜」と感心したように漏らしておられましたが、全国からここまでやって来るような映画ファンをなめてもらっては困ります(笑)。同作は、見逃すことの出来ない必見作ですから。

 乾杯のご発声は、青山監督です。前述のやんちゃ坊主な服装のまま、藤村さんに「本日の試写作品『こおろぎ』を監督いたしました青山真治と申します。藤村さんがいらしゃるのに僭越ではございますが、指名により乾杯の発声をさせて頂きます」と緊張気味に挨拶してから、壇上へ。
 「カンパイ!」の後は、しばし飲食タイムです。運ばれてくる料理もあるし、炭火で牛や地鶏を焼いているコーナーも。ラーメン風の麺も食べられます。炭火焼きは、昨年までのこの会場では出されていなかった料理。今年は、どの会場でもメニューが充実していました。各テーブルに置かれてある酒類は瓶ビールだけですが、飲物コーナーへ行けば色んなお酒やウーロン茶・ジュース等がいただけます。

 開始30分ほどでお腹を満足させたなら、ゲストや顔なじみの参加者との会話を楽しむ時間です。初対面の人とも、「どちらから来られたんですか?」と気軽に言葉を。会場には、公民館の玄関横に展示されていた大魔神の巨大レプリカも運ばれてきており、圧倒的な存在感で仁王立ちしています。藤村さんは、言わずと知れた「大魔神怒る」(前夜祭の上映作品)のヒロイン役を演じられた方。像の方に近寄って行かれ、懐かしそうに嬉しそうに大魔神を撫でられます。絶好のシャッターチャンス! 夢のツーショットに、十数人もが一斉にカメラを向けていました。
 私は、脚本家の荒井晴彦氏にご挨拶、「昨年12月に函館の映画祭でお目にかかった者です」。「函館? そんなとこ行ったっけ」と軽くとぼける荒井さん。公開がちょうど10年前となる初監督作「身も心も」以来の2作目として撮りたいものはあるし、製作にGOサインが出るのを首を長くして待っている完成済みのシナリオも複数本あるのですが、なかなか進展しないのだとか。氏の労作がクランクインまで漕ぎつけられないのは、日本映画界の損失! 来年は、いずれかが映画化され、正式ゲストとしておいで頂けますよう。

 ところで、今映画祭のポスターの原画は、2004年に一度担当され好評だったため、今回再登板となった銅版画家の安井寿磨子さんという方が描いておられます。実は、この方とは間接的にちょっとしたご縁があるのです。私は、2001年の暮れに『函館港イルミナシオン映画祭』のHPを通じて知り合った今井雅子さんという脚本家(「子ぎつねヘレン」「天使の卵」等)をずっと応援しているのですが、安井さんは、今井さんの初めての映画化作品である「パコダテ人」(宮アあおい主演)の前田哲監督(この夏「ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ」が公開)のご親戚なのです。「パコダテ人」でも、キャラクターデザインの一部をご担当。その安井さんが、予定されていなかったゲストとしてこの会場にいらっしゃっていると紹介アナウンスが流されていたのですが・・・。色んな人との話しや、炭火焼きコーナーに並ぶ方に意識が向いてしまっていたため、彼女を探し出しご挨拶するのを失念してしまったのです。気づいたのは、宿に帰ってから。不覚・・・。
 友人は、青山監督とずっと話をしています。後で尋ねると、「結局、肝心な所はかわされちゃったよ。それに、途中から、監督が酔ってぐでんぐでんになっちゃって」。

 パーティーのお開きは通常、0時になる20分前ぐらい。簡単に引き上げる参加者ばかりではありませんから(笑)、早めにアナウンスするのです。藤村さんは、半ばで退席されましたし、話したい人とはひと通り言葉を交わせたので、今夜はまだお開き宣言前ですが、友人と2人、会場を後にすることにしたのでした。どちらも、今朝の起床がとても早かったのもありますし。
 十数年ぶりで本映画祭に参加した2年前の友人は、土・日のみの滞在でした。今夜の会場は初めてだし、暗い中をバスでやって来たため、位置関係が全く掴めていません。説明しながら、帰路に。この辺りから続く川沿いの道は、宿への帰り道でもあります。明晩のパーティー会場も、この川沿いを2〜3分行った所にある施設。
 映画祭御用達の宿は、私たちの宿へのあぜ道を過ぎて、なお5〜6分歩かなければなりませんから、初日・2日目のパーティー会場からの帰り道においては、距離的な有利さも確保できている事になります。友人に解説しながら、そういう宿を見つけた事に、内心ちょっとだけ鼻高々な私なのでした。田舎道は街灯の明りの届かない所もあり、持参した私物の小型懐中 電灯(宿にも携行用小型ライトの備えあり)で足元を照らしながら、 無事、宿へと帰還。1日目が終了です。

湯布院映画祭レポート07(6)

 2日目は、快晴。朝8時過ぎに宿を出発し、朝食をとるため、イートイン出来るコンビニへ。 この時間から、かなりの暑さ。由布岳は山頂辺りが、もやに包まれています。 低い位置を流れる雲がかかっていたことも。4日間を通じて、頂上がすっきり拝める機会は、 あまりありませんでした。
 朝食後に向かうのは、由布院駅舎内アートホール。昨日【職人講座】を行って下さった 西岡善信氏の展示を見るためです。9時開場(無料)。場内には、旅行者などが ゆっくり休憩できるよう多くの椅子やテーブルが備え付けられています。程よい間隔で 壁に飾られた30点のデザイン画は、まるで美術品そのもの。それに基づいて実際に建てられたセットや建築物の写真も一緒に並べてあるのですが、やはりデザイン画の方にこそ感嘆してしまいます。

 上映開始は、連日10時より。ただ、会場である公民館には早くから実行委員の方が準備のため来られているので、少なくとも9時前には館内ロビーに入ることが可能です。当地から投函する絵ハガキを書いている友人をアートホールに残し、私は9時半頃に公民館へ。販売コーナー担当の顔なじみの実行委員の方に、昨日お願いしておいた映画祭パンフのバックナンバーが入荷しているか確認。が、昼前になるとの事。仕方ありません。

■24日(金)■ ≪特集上映「疵千両」・・・ 10:00より≫

 この日は、丸ごと”大映京都特集”で、新作の特別試写もなし。間もなく友人がやって来て、本日の1本目に一緒に入場します。本作は、今夜のメイン・イベントである夜のトークショーに藤村志保さんと出て下さる田中徳三監督の1960年の時代劇。同監督は、黒澤明の「羅生門」や溝口健二の「雨月物語」に助監督として就いた経験をお持ちの方で、何と友人はある人のつてで監督のご自宅を訪ね、その両作の撮影台本を見せて頂いた事があるのです。今日は、何年ぶりかで田中監督にお会い出来るのを、すごく楽しみに。

「疵千両」は、【男は、無二の親友を意見の対立から決闘で討つ。親友の弟夫婦は兄の仇討ちに生涯をかけるが、哀れにも力及ばず、残された幼き遺児を仇である男が引き取ることに。その子の母は、男がかつて想いを寄せた女であったという因縁━━。武士の意地と、男の心情が錯綜する骨太な時代劇(リーフレットの作品紹介を参考)】。今日は平日の金曜日であり、しかも午前中の上映ということで、客席は半分程度の入りでした。
 夕方には、昨日【職人講座】を行って下さった美術の西岡氏をはじめ、大映京都出身の森田氏(撮影)・中岡氏(照明)をお迎えしてのシンポジウムがあるため、それらの技術面に注目して鑑賞しようと思っていたのですが、導入部の辺りに、ついという感じで反応してしまう微笑ましい笑いが絶妙のタイミングで配置されていたりしたため、たちまち物語に引き込まれ、目論見は果たせませんでした。

 10分の休憩をはさみ、次は「利休」(1989年/勅使河原宏監督)の上映ですが、公開時に観ているため、私はパスすることに。友人は、久しぶりに観直したいので、と連続鑑賞です。別れて、ロビーの販売コーナーを覗くも、バックナンバーはまだ平台の上に並んでいません。尋ねると、「あ、来てますよ」と、届いたばかりだったのか別の所から出してきてくれ、ようやく昨年のパンフを必要部数だけ入手。ロビーのテーブルを使って封をして、歩いて3〜4分の初めて行く当地の郵便局へ。念のため、貼付済みの切手で料金が足りているか確認してもらい、そのまま引き受けてもらいました。ひと安心。一番の遠方は、「フラガール」の地元・福島県にお住まいの3人のミクシィ友だちの方々の所ですが、たぶん月曜日には届いてくれるでしょう。(後日、その通りだった事が確認できました)

 時刻は、ちょうどお昼時。郵便局から引き返し、公民館の前を通って、メインストリートへ。朝は、もやがかかっていた由布岳の山頂が、今はくっきりと見えます。めざすのは、つい先日テレビ番組で紹介されていた小さな食事処。ランチタイムは親子丼だけを出しているのだとか。放送直後ということもあり土・日はきっと混むでしょうから、行くなら今日だなと、ちゃんと計画に入れていたのです。公民館から、歩いて3〜4分の所。ちょうど食べ終わったグループが出て行ったので、行列することなく座れました。カウンターだけ8席ほどの、おばちゃんが1人でやっている小さいけど落ち着けるお店です。注文する必要なし。お茶を飲みながら待つこと数分、出された親子丼は、見た目で美味しいのが分ります。もちろん完食。店を出ると、外はいつの間にか心地よい風が・・・。
 次に、多くの観光客が行き交う通りを、昨夜のパーティー会場のある金鱗湖の方向へ。途中の道を折れ、川沿いに某美術館をめざします。そこの売店のソフトクリームが、安くて旨いのです。昨年は、3年ぶりぐらいに食べることが出来、次の日もう1度行ったものの、あいにくお休み。口の中は、もう完全にソフトクリームモードになっています。が・・・、何と、美術館そのものが移転しているではないですか!? 売店にも当然、シャッターが降りています。ま、他にも売っているお店はいっぱいあるのだからと気を取り直して、さっきの観光通りの適当な1軒で、念願(?)のソフトを口にしたのでした。昨年12月に『函館港イルミナシオン映画祭』に初参加した際、同地で食べて以来。日常生活の中では食べないのですが、旅行でドライブインに寄ったりすると、つい買ってしまうのと同じようなものでしょうか。ソフトの味は、さっきの所ほどではないものの、とにかく食べられたことで気が済みました。

 もうしばらくブラブラしてから、公民館へ戻ることに。ロビーのソファーでひと休みしようかと考えたのです。今頃、ロビーの奥側部分では、並べられた椅子に30〜40人ぐらいが腰かけ、観終った「利休」についてざっくばらんに語る『おしゃべりカフェ』が開かれていることでしょう。昨年から始まった催しで、シンポよりも気軽に、いま観たばかりの映画についておしゃべりしようというもの。公民館に着くと、玄関脇の外の所で、顔なじみの実行委員のAさんがタバコを吸っておられます。彼は、原田眞人監督のオフィシャルHPの管理人もなさっている方。 「ラストサムライ」で役者としても驚くべき才能をみせた原田監督は、何本も企画が流れてばかりだった期間の憤懣を一気に払拭するかのように、昨年の暮れから今年1月にかけて「魍魎の匣」(12月公開予定)を撮り、続いて、急遽飛び込んできた企画の「伝染歌」(8月25日公開)を完成させ、そして現在は来年公開予定の「クライマーズ・ハイ」を撮影中・・・と驚異的なペースで作品を世に送り出そうとしておられます。氏は1999年に「金融腐蝕列島[呪縛]」を携えて、本映画祭においでになりました。私が初参加する前の年━━。故に、原田監督にはまだお目にかかった事がないのです。今年も、「魍魎の匣」を試写作品にという案があったらしいのですが、「クライマーズ・ハイ」の撮影期間と重なり監督が来場できないため、実現せず。いつかは・・・、来年ぐらいには是非ここでお会いしたいものです。Aさんからは、そんな原田監督の諸作品の撮影秘話などを中心に、興味深いお話しをたくさん聴かせてもらいました。30分近く喋っていたでしょうか。途中では、『おしゃべりカフェ』が終ったのか多くの人が館外へぞろぞろ出ていきました。友人も、その中に。やっぱり参加していたのか・・・! 熱心さに、感心してしまいます。  Aさんと別れ、ロビーへ。すぐに友人がコンビニの袋を手に戻ってきました。おにぎり等の軽食を、彼が昼食として食べ終わるのを待ち、本日3本目の映画に入場します。

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■24日(金)■ ≪特集上映「なみだ川」・・・ 14:45より≫

 私にとってはこの日2本目の鑑賞となる本作のヒロインは、昨夜のパーティーにもおいで下さった藤村志保さん。1967年の製作ですから、ちょうど40年前という事に。今を盛りの娘っぷりを匂い立たせながら、藤村さんがスクリーンの中できらきらしています。客席は、半分ぐらいの入り。【やがて明治維新を迎えようかという幕末の江戸下町を背景に、彫金師一家の姉と妹がお互いの幸せを願って見せる姉妹愛を、江戸っ子特有の楽天性と明るさで描く人情劇。山本周五郎の名作「おたふく物語」を三隅研次監督が情緒豊かに演出したハートウォーミングな1本(リーフレットの映画紹介より)】。姉妹の物語ということもあり、特に女性客に人気だったようです。
 上映後は、16:15より2階にてシンポです。

■24日(金)■ ≪シンポジウム(「大映京都撮影所が遺したもの」)≫

 ゲストは、昨日の【職人講座】に引き続いての西岡善信氏(美術)に、森田富士郎氏(撮影)・中岡源権氏(照明)のお三方。客席は全て埋まり、当然のように立ち見も出ています。熱心な女性客も多数。そんな光景を見ながら、私はある人の事を気にかけていました。ミクシィの[湯布院映画祭コミュ]に、今回、超強行軍で初参加するつもりだと書込みをされた関東在住の女性・Hさんのこと。 ”大映京都”の大ファンであるため是非とも参加したいのだが、仕事の都合で木曜日は夕方までの勤務、また土曜日の午後には会社に出なければならない見込み。それでも、行けるものなら行きたいのだと。彼女からは、”もし行けたなら、金曜日は全部のプログラムに出るつもりなので、食事はいつ、どこで、どのように摂ればよいのでしょうか?”との質問がなされ、私と同じ岡山県から毎年参加されている『湯布院』の先輩のOさんや私がお答えすると共に、2人からはHさんに”公民館かパーティー会場でお会い出来ると良いですね。頑張って、初参加を実現させて下さい!”とエールを。ただ、何らかの約束を交わした訳でも、互いの目印を教え合った訳でもないので、Hさんが無事来場されていても、実際にお会いするのは難しいでしょう。「なみだ川」に入場する前も、Oさんとロビーで、Hさんの事を噂したばかり。この客席のどこかに・・・、ゲストの方々がよく見える席に、Hさんが座っておられれば良いのですが。

 司会は、昨日の【職人講座】に引き続き、実行委員のZさん。まず、お一人ずつゲストをご紹介していきます。大きな拍手と、十幾つものカメラのフラッシュ! 昔からの映画ファンにとっては、前に座っておられる皆さんは錚々(そうそう)たる顔ぶれですが、失礼ながらどなたも80歳前後とご高齢ですし、 裏方をなさっている方ばかり。それが、これだけ注目を浴びるのですから、『湯布院』ならでは。お三方の顔も、幾分上気したように見えます。
 美術に関しては【職人講座】でお聴きしましたから、今日は最初に撮影の森田氏からお話しを伺います。「撮影というのは記録するだけなんですね。美術のセットがあって、そこに照明が当って活かされ、3番目として出てくるのが撮影なんです」━━こういう謙遜の心でキャメラをまわすからこそ、美術も照明も最高に効果を発揮した形でフィルムに焼き付けられるのでしょう。西岡氏の口からは、「映画は、才能の掛け算である」という言葉が。最近は、監督に権限が集中しすぎていて、映像が痩せているように思えるとの事。照明の中岡氏からは日米の違いについて、「アメリカはセットが出来上がったら、美術の仕事は終り。日本は・・・というか、西岡さんは、撮影の最後まで関わってくれます」。3人の頭の中はネタの宝庫で、答えが脱線していく事も度々。「何の質問でしたかね?」(笑)。話が面白いので、問題ありません。「初めての監督と組む時には、第1回目のラッシュが肝心なんです」と森田氏、「そこで信頼関係が生まれるんです。それから、スタッフの和が大事。喧嘩なんかした事は、ほとんどありません」。

 ここで、会場整理の実行委員から司会者にメモが渡され、後方の席に座っていらっしゃる田中徳三監督が紹介されます。届けられたマイクを手に、ちょうど話題に上がっていた”信頼関係”についてひと言、「映画は監督一人で作れるものではありません。スタッフから上手く力を引き出すのも演出の内。昔、助監督としてついた2人の監督の話をちょっとだけしましょうか。黒澤監督には1本だけつきました、『羅生門』に。不思議なことに怒ってばかり(笑)。黒澤さんは力量を示すことにより無理やり信頼関係を築いていきました。溝口さんにも3本ばかりつきましたが、あの人の場合は、何も言われなくても自然に分かったんですな。カリスマ的で、どうしてもついていってしまうという意味で、これまた不思議な魅力を備えた監督でした」。

 西岡氏が大映京都撮影所に入社した1948年当時は、映画界全体がヤクザの世界のようだったとの事。ここからは、ラッパのあだ名で有名だった大映の親分・永田雅一氏の話になりますが、一応自主規制でオフレコ扱いにしたいと思います(それほど大した内容でもないのですが)。森田氏からも、実は「時代劇が嫌いだった(笑)」という爆弾発言があり(大映京都は時代劇が売り物)、長谷川一夫にも言及していくのですが、今度こそ本当にオフレコなので、残念ながら飛ばさせもらうこととします。
 話はやがて、大映京都が倒産しそうになった頃の事へ。市川崑監督から「せっかくこれだけの人材がいるんだから、ユニオンを作ったら」とのアドバイスを貰い、また、この撮影所の優秀なスタッフたちと仕事が出来なくなるとたちまち困った事になる多くの映画人たちの支援を受け、『映像京都』を設立することになったのでした。初代の社長は三隅研次監督でしたが、その後は西岡氏がずっと務められています。『映画京都』ではなく、『映像京都』。テレビの仕事なしではやっていけませんから、映画とテレビをひっくるめての『映像』という呼称。また、『京都映像』だとよくある感じの社名なので、ひっくり返して『映像京都』にしたのだとか。
「ここは、同じような立場の者が集まった会社で、上からの抑えつけもなく、良かった」と西岡氏。ギャラの10%を会社に納めていたのだそう。ただ、会社の運営はそれだけではやっていけないので、みんなが保証人に名を連ねる事に。「なかなか社長のなり手がいないんですね。面倒くさいし、自分の仕事が出来なくなりますから」。で、仕方なく就任した西岡氏は、ある時期まで社長としての給料を受け取っていなかったのですが、商法違反に当るとの指摘を受け、以後は最低ラインの額だけ貰うように。「私の、社長としての給料は、30年間ずっと10万円なんです」(笑)。

 客席からの質問コーナーとなり、何人もから手が挙がりましたが、その中から一つだけ━━「大映は、他社とは色調が違うように感じていたのですが、その理由は?」。撮影の森田氏が答えられます、「”渋い、粋、はんなりと”、そういったものが大映の特質でした。派手でない、くすみがちの渋い衣裳。フィルムには実際より派手に写るので、色を抑える工夫をしていました。それが、大映のカラーになったみたいです」。
 ゲストが3人いらっしゃると、話題が途切れることなど全くなく、時間は瞬く間に過ぎていきます。もう、締めのお言葉を頂戴する時刻に。中岡氏は、長谷川一夫に関するオフレコ発言で場内を沸かせた後、「西岡さんも森田さんも、前と同じ事をやらずに常に新しいやり方に挑戦しているのが素晴らしい。今日は、この3人で来られて嬉しかったです」。続いて森田氏、「ここへお集まりの皆さんのように、観客が大映カラーの良さを認識して下さる方ばかりだったら、日本映画ももっと良くなるのではないでしょうか。現代は、映像面が進化しすぎて、物語の微妙なニュアンスが上手く伝えられていないように思います。これからも、世の映画ファン、特に若い世代に、そういう大事なものを伝えるお手伝いをしていきたいです」。最後に西岡氏から、「僕らも一応はまだ、現役の作り手なんです。色々喋ってきましたが、もっと現場に出て、どんどん製作に携わっていかなければいけないと改めて思いました」。
 失礼ながら、このお三方ぐらいのお歳になると、もう恐いものなし。ざっくばらんな物言いで、何度も笑わせてくれた楽しいシンポでした。

湯布院映画祭レポート07(8)

 時刻は18時。次のプログラムまで1時間の空きがあるため、昼間出かけて行った観光ストリートへ、友人と足を向けます。カフェ風のお店で冷たいものをオーダーしようとしたのですが・・・。この時間には、観光客はもう引き上げた後。どの店も営業を終えています。無駄足を友人に詫び、引き返して、今度は駅前へ。さすがに土産物屋は開いており、歩き回って喉が乾いたので、共にソフトクリームを求めたのでした。美味しかったです。20時頃まで営業しており、ソフトもそれまで注文できるそう。来年は、到着したらすぐ、1年ぶりのソフトをこの店で買ってしまうかもしれません。

■24日(金)■ ≪特集上映「怪談雪女郎」・・・ 19:00より≫

 上映後にトークショーを行なって下さる”監督・田中徳三/主演・藤村志保”コンビの、1968年の作品です。客席は、半分ぐらいの入り。【雪女の伝説を題材にした怪談映画でありながら、夫婦愛や母性愛を中心に、田中徳三監督が格調高く描いた名品。雪女の持つ冷たさと優しさを、藤村志保が抑制の効いた演技と知的な美しさで見事に表現した。吹雪の晩、仏師の与作は、山小屋で雪女と出会う。彼女は、ある約束を守る条件で、命を助けてくれたのだが・・・(リーフレットの映画案内より)】。
 現代なら、CGが多くの出番を与えられるであろう類いの映画です。それを、この時代に、技術面での様々な工夫や、役者が体を張ることによって、これだけのものを創り上げたという事には、少なからず感心してしまいます。具体的には、後のトークショーでも解説される筈。

 そのトークショーは、引き続き、この上映会場にて開催される事がアナウンスされました。全日券以外のお客は300円必要ですが、終了後に退場する際お出し下さいとの事。

■24日(金)■ ≪トークショー ・・・ 20:25より≫

 舞台上には、司会を務める映画評論家の野村正昭氏の分も含め3人分のソファーが用意されます。”大映京都撮影所特集”の最後を飾る、このトークショー。ゲストのお2人、田中徳三監督と藤村志保さんが、満場の拍手の中、袖から登場されます。昨夜のパーティーでの藤村さんのお着物は白っぽく涼しげな感じでしたが、今夜は渋く紫。舞台によく映えています。
 着席された後、まず司会者が「今回は藤村さんの出演作が3本上映され、ミニ特集のようでしたが、田中監督とのコンビ作は、全部で5本あるんですよね」と前置きしてから、「お2人が初めて組まれた時の事をお話し頂けますか」。田中監督は、「覚えてません」(笑)とあっさり返答。今年で87歳になられますから、変に格好つけるような所はありません。藤村さんの女優デビューは、市川崑監督の「破戒」(1962年)。「田中監督は、私たち女優にとても人気のある監督さんだったんですよ」。司会者が、最初のコンビ作を「鯨神」だと教えると、すぐにあれこれ思い出したのか田中監督はマイクを口に持っていきますが、スイッチが入ってなくてスピーカーから声が流れません。すると、藤村さんが腰を浮かせて監督の方へ身を乗り出し、スイッチを入れるお世話を。昼間の休憩時間に監督を見つけ、ご挨拶を済ませると共にサインを貰った友人からは、「自宅にお伺いしてから何年も経つので、失礼だけど監督もほんとにおじいさんという感じになられてるなぁ」との少し寂しそうな言葉を聞いていましたし、ここまでのリアクションを見ると、トークショーの先行きにちょっとばかり不安を覚えたのも事実。が、これから後、藤村さんや司会者とやり取りしていく内、エンジンも温まっていった監督は、どんどん口調が滑らかになっていかれるのでした。 「ああ、そうでした! 『鯨神』だ」「確か、私がデビューした年じゃないですか?」と顔を見合わすお2人。藤村さんは、「荒くれ男の勝さん(勝新太郎)が流れてきて、私を犯してしまうのよね」と映画を簡単に紹介。そんな・・・、犯すだなんてショッキングな言葉を、藤村さんがためらいもなく口にされるなんて(笑)! あくまでも、映画を説明するためなので、恥ずかしくも何ともないのでしょう。

 監督は「鯨が大変なんですよ。人間よりも、そっちを描く方が難しかった」と苦労談を。藤村さんからも「日焼けしている感じを出すため茶色のドーランを塗ったら、色が肌に染み込んでしまって、後が困りました」。監督が思い出された撮影中のエピソードは、「禁欲的な現場だったので、勝ちゃんが『飯炊きのばあさんまでが綺麗に見えて仕方ない』なんて」(笑)。

 司会が「コンビの2本目は『悪名』シリーズ。女親分の役でした」と紹介。監督はその役を誰にするか悩み、一つの賭けで、清純派の藤村さんを起用したのだそう。「勝さんに花札のやり方など教えてもらったんですよ。困ったのが関西弁。京都なので、周りはみんな関西の方ばかり。私は関東の人間ですから、なかなか大変でした」。
「1967年頃から藤村さんの主演作が撮られるようになったんですよね」と司会が時代を進めます。藤村さんは「永田会長が来られると、撮影所の講堂みたいな所に全員集め、『今は大変な時。頑張ってほしい!』とお得意のラッパを」。昨年、大阪の映画館で田中監督の作品34本が特集上映されたのだそう、「久しぶりにスクリーンで観たが、大映の底力を感じました」。「私の主演作は、大映の最後の道楽だと言われたんですよ」(笑)と藤村さん、「男優中心の大映に、女優の作品が・・・。嬉しかったですね」。監督も、同様に「カツ(勝新太郎)ライス(市川雷蔵)ばかりやっていたので、志保ちゃんの主演作を撮れるのが嬉しかったですよ」。
 話は大映京都の結髪さんたちの優秀さについて。「人間国宝に指定されても良いぐらいの技術を持った先生方でした。毎朝、コテで髪のクセを取るんですよ。その後、鬢(びん)付け油をつけてね」とノリノリで語られる藤村さん。監督からも、「普段はボ〜ッとしていても、時代考証の知識が凄かった。明治の芸者と昭和の芸者では、髪型が違いますから。任せておけるので、随分助かりました」。

「怪談雪女郎」は特殊撮影やメイクが大変でした。「CGなどなく、全部手作りでしたからねぇ」と監督。メイクに関しては藤村さんから、「目が金色なんですけど、あれはコンタクト。まだ出始めの頃で、京都のメガネ屋さんに注文して作ってもらいました。撮影を続けていくと、水分がなくなり目に張り付いたようになってしまって、目医者で外してもらってました。仕事に入ると、後先考えないんですよね」。柔らかい雰囲気ながら、きりっとしてらして、藤村さんは本当にお若いです。舞台上でライトを浴びておられるので、尚更。
「カットの積み重ねで、映画が出来る」んだと藤村さん、「大映がなくなって、他の色んな現場へ行くと、大映京都の皆さんの映画魂が分ってきて、凄さに改めて気づかされました」。「撮影所は、映画を作る工場。色んな事を自然に学んで、マスターしていく。演出については、どの監督からも言葉で教えてもらった事はないですね」と語られる田中監督は、大映がなくなると、活躍の場をテレビに移されます。「必殺」シリーズなどを演出されたのだそう。「テレビの仕事でも、映画と同様に、手を抜くなんて事はありませんでした」。

 藤村さんは、コンスタントに映画界で仕事を続けておられます。司会が、近年の主な受賞歴をご紹介。1998年には『第53回毎日映画コンクール』にて『田中絹代賞』に輝き、昨年の『第30回山路ふみ子賞』では「二人日和」「カーテンコール」の演技に対して『映画功労賞』が贈られました。「これからも映画に出たいな〜」と少しはにかんだように口にされる藤村さん。急に監督に問いかけます、「何歳になられたんですか?」。「86歳」との答えに、客席から大きな拍手が。藤村さんが何だか誇らしげに「監督は、京都から1人で、新幹線と特急を乗り継いで、ここまでいらっしゃったんですよ」。
 昨年は溝口健二監督が亡くなってちょうど50年。たくさんのシンポがあって、どれも朝から行列でしたと、田中監督は思い出を甦えらせます、「まあ、色々あるが、酒癖が悪かったですね。あれは、酒乱です。豪傑。だから、ああいう作品が撮れたんです。”この野郎〜っ!”と思う事もあったけど、映画に対する純粋さには心打たれたものでした」。

 故・市川雷蔵さんとの思い出についても語られます。そもそも藤村さんのデビュー作「破戒」は雷蔵さんの主演作であり、役名の”お志保”がそのまま芸名に。「女優・藤村志保誕生の恩人みたいな人なんですけど、お茶の一杯も飲んだことないし、プライベートな話もした事がないんです。具合を悪くされている時も、奥さんに訊いても大丈夫よとのご返事で、お見舞いにも行けずじまい」。彼が亡くなったのは、1969年のこと。「7月17日の朝、8時30分頃、池広組の撮影で待機していたら、今朝亡くなったって聞かされ、自分の控室に戻って、ずっと泣いてました。何か、自分の体が千切れとられていくような感じがしたものです。9時になり、セットに呼ばれていきました。池広監督も、スタッフも、みんな、下を向いたりして目を合わせないように・・・。台詞を言おうとしても口がガタガタして、言葉にならなくて。その日は撮影になりませんでした。私にとっては、とっても大きな存在。元々ファンでしたし。雷蔵さんは、相手役にああしろこうしろとは言わないんですね。監督からあれこれ言われてるのに、自分まで何か喋ると、相手役の女優が迷ってしまうんじゃないかと思ってのことだったんでしょうね」。淡々と話されますが、何十年経っても消えることのない静かな悲しみが伝わってきます。
 田中監督が、雷蔵さんの死を知ったのは、ロケ先において。「ニュースで聞いて・・・、信じられなかった。黙祷をしました。撮影所に戻ると、し〜んとしていて。池ちゃん(池広監督)から、志保が泣いてるって聞かされました。最後に会ったのは━━」。雷蔵さんは姓名判断に凝っていて、田中監督は改名を勧められたのだそう。「2〜3日して会って、長年、田中徳三だから、いまさら別の名前にしても、困るわ」と辞退すると、雷蔵さんはそれでも「変えた方がいいんやけどなぁ」(笑)と、ひょこひょこ歩いていきながら呟かれたのだとか。場内が沈みすぎないよう、笑いに誘ってくれるタイミングが絶妙です。

 藤村さんの性格を物語るのが、日々の結髪のエピソード。撮影が9時開始だとすると、7時ぐらいから結髪さんに髪をあたってもらう必要があります。「早目に準備しておきたい方なので、6時半ぐらいには入ってました」。「それにしても」と恥ずかしそうに髪に手をやり、「若い時はあんなにたっぷりあったのにね〜。悩みの種」━━お茶目な仕草で、場内を沸かせて下さいます。

 これで終っていれば、みんな気分良くパーティー会場に向かうことが出来たのですが・・・。もう、ほぼ終了予定時刻になっているにも関わらず、最後に強引に発言機会を求めた人物が最悪だったのです。後で聞いた所によると、近畿地方の某テレビ局の社長か何かだったとか。この人物が、まだ素性を明らかにする前に、「監督作や出演作がテレビ放映されることについて、どう思われますか?」と質問。田中監督は、率直に「テレビだと、すぐ消えちゃう(1回放送されるだけ)。何の反響もない。映画はやっぱりスクリーンで・・・映画館で観てほしい。テレビだと何か、他人の作品みたいに思えてしまいます」。ここで、男は自己紹介、「近畿のあるテレビ局の人間です。私共の局ではめったに観られない昔の映画を放送する枠を持ってまして、それを観たいがため放送日には県外からわざわざやってきてくれる人もいると聞いています。そういう評価も貰っているけど、やっぱりテレビで放送する映画はダメなんですね」。

 こういう内容の話は、後のパーティーか、上映の合間のロビーかで直接お尋ねすれば良いこと。ここは”映画祭”の会場ですし、氏は”映画監督”なのですから、前述のような発言になるのが当り前。それでも監督は穏やかに、「私はテレビで1,000本以上演出してますからね。テレビを軽蔑してる訳じゃありませんから」。男は尚も、場の空気を全く読めずに厚顔無恥な発言を続けますが、この辺りからは私も頭に血がのぼってきたため、はっきり内容は覚えていません。メモも取りたくなかったし。とはいえ、おぼろげな記憶はあるのですが、黙殺するのが一番なので、記述は放棄させてもらいます。おおかた、局からの出張扱いで、身銭を使わずにやって来て、公費で来た以上は宣伝の一つも兼ねてと考え、しゃしゃり出てきた、というところでしょう。
 田中監督や藤村さんは、その男からの質問だったのか好きな作品を答えられ、笑顔で短くやり取りされ場内のムードを和やかなものに戻されてから、割れんばかりの拍手に包まれながら、にこやかに退場していかれました。観客に気を遣って下さった去り際も、お見事です。席を立ちながら、お2人に対し申し訳ない気持ちで一杯になったのは私だけではないでしょう。後日知ったのですが、私たちがロビーへ出た後、そのテレビ局の者がいた近くの席に、近年はお歳を召されたため今回2〜3年ぶりに本映画祭へいらっしゃったという男気のある年配の方がたまたま座っておられ、その人間を一喝されたのだとか。胸が、すっとしました。

 今夜のパーティー会場への移動も、バス。車内に乗り込むと、「何っ、あの男!?」といった声が聞こえていたりもしましたが、ここでもすぐに黙殺されることに。楽しいパーティーが待っているのですから、早く忘れて気分転換するに限ります。

湯布院映画祭レポート07(9)

■24日(金)■ ≪パーティー ・・・ 22:00より≫

 今夜のパーティー会場は、昨夜の[亀の井別荘]に程近い[九州湯布院民芸村]という施設。同じく屋外の和風庭園での宴です。当然、立食式(4夜とも)。ここが一番狭いのですが、参加人数は昨夜とほぼ同数か若干多いぐらい。ために、密集度はかなりのものになっています。まずは、腹ごしらえから。各テーブルには、大皿の料理や、瓶ビール、特大ペットボトル入りの各種飲物など。また、出入口の脇では、この夜のパーティー恒例の牛と地鶏の炭火焼きが実行委員の手によって豪快に料理されています。毎年、お肉の差し入れを頂戴しているのだとか。テーブルで隣り合わせになった初対面の人とも気軽にビールのお酌をし合い、箸や取り皿を回してあげたりも。たちまち、あちこちでワイワイガヤガヤを始めながら、料理を口に運んでいきます。来賓が挨拶されていたようですが、周りが賑やかすぎて、ほとんど聞こえませんでした。乾杯のご発声は、藤村志保さん。これはしっかり聴かなければと、ステージの近くへ。「昨日から楽しませてもらっています。女優・藤村志保が生まれ育った大映京都が特集され、とても嬉しく思っています。湯布院映画祭のますますのご発展をお祈りして━━、乾杯!」。”カンパ〜イ!”を唱和する声が、夜空に響き渡ります。
 そろそろ炭火焼きの準備が出来ました、とのアナウンス。お皿を持参して、その前に行列です。盛ってもらい、テーブルに戻って食べようとするのですが、離れていた間にもう他の人がそのスペースに収まっており、元の場所には入れません。仕方なく、飲物の入った自分のコップを取り、横の庭石の上にそれを置いて、炭火焼きに舌鼓を。友人は、ゲストのどなたかと話しに行った模様。そんな飲食タイムを過ごしていたら、同じ岡山県から参加のOさんが、私をwebネームで呼びながら接近して来られるではないですか。案内している2人の女性は誰?!

 そう。お1人は、昼間のシンポジウムの項で、関東から超強行軍での初参加を計画している女性がおられると記述した、そのHさんなのです! 実は、ミクシィ等での私のwebネームは『岡山のTOM』(本HPは岡山限定のものなのでここでは”岡山の”は付けておらず。また昔、ハンドルネームを”トム”さんと名乗っていた方がおられたため、県内の各HPでは”TOMI”にしています)と言うのですが、Oさんはほとんどのシンポで発言されており、常連さんはまず「○○から来ました△△です」から始められるため、Hさんは、「倉敷から来ました△△です」とのOさんの自己紹介を耳にして、私かと思い、さっきOさんに「岡山のTOMさんですか」と尋ねられた模様。Oさんは当然、それが私だとご存知なので、探しながら案内してきて下さったのですが、初参加の件をミクシィに書き込んでいた文体からもっと年配の方を予想されており、その人が昼間に私と噂をしていたHさんご本人だとは思ってもいなかったよう。挨拶されてHさんだと分ったので、私は慌てて、立ち去りかけていたOさんを呼びとめ、その方がHさんだと教えます。「よくいらっしゃいました!」、そして、よく会えたものですと、3人はまるで旧友が再会したように言葉を交わし合ったのでした。聴けば、千葉に住んでおられるのですが、夕べは勤務先のある埼玉県から終業後東京駅へ行き、新幹線で九州入り。夜中の1時半に大分駅まで着き、ビジネスホテルに宿泊されたのだとか。今日は朝から、全部のプログラムに参加。ああ、ここにも、また愛すべき映画バカが・・・! 類は友を呼ぶ、ということでしょうか。

 もう1人の、Hさんより年下の20代ぐらいの女性は? お連れなのかとお訊きすると、確か、ここで会って、お互い日本映画の旧作ファンなので話が合い、行動を共にしているとのご返事。その女性・Kさんもミクシィ会員であり、[湯布院映画祭コミュ]で或る人からの問い合わせに答えて私が湯布院の安い宿の情報を書き込んでいたのを記憶しており、ある目的を持って、これまた私に接近(?)しようとしていたのですが、それが明らかになるのは後日のこと。とにかく、お2人が旧作ファンだと聞けば、高崎の友人に引き合わせぬ訳にはいきません。年間300〜400本観る友人は、新作と同じぐらいに旧作も熱心に追いかけているのです。昨日・今日の間にHさんの事も教えていましたし、またKさんは水戸在住なのですが、偶然友人も勤め始めのころ同地に勤務していたため、「あの映画館は、今もあるの?」とかの話題でたちまち盛り上がり、3人はそこに根を下ろしたように話に熱中しだしたのでした。Oさんが、旧作ファンの20代の男性を連れてきてくれたら、これまたHさんとは以前ネット上でやり取りした事があるという、嘘みたいな偶然まで! いやはや、インターネットの威力は大したものです。私も輪に入って、彼らの会話に耳を傾けるのですが、内容がマニアックすぎて、ついていけません。この私が置いてきぼりにされるなんて・・・! そんな状態を逆に楽しく感じながら、空を見上げると、今夜もきれいな月が出ています。

 宴も半ばとなり、ゲストの大映京都組の皆さんよりご挨拶を頂戴します。撮影の森田氏は、「この映画祭は、皆さんの情熱が素晴らしいですね。(京都の)太秦もこうであってくれたら良いのですが。ここの元気を貰って帰りたいと思います」。美術の西岡氏も、「ここの盛り上がりぶりを、帰ったら太秦の連中に話して聞かせます。また映画を作って、それを持ってやって来たいものです」。照明の中岡氏は、すっかりできあがっており、「ありがとうございます。もう他に言う事はありません」(笑)と短く感謝を。
 マニア4人の旧作談議は、ますます佳境に。話に割って入り、Hさんに明日の予定を訊くと、朝から旧作2本を観て、もう帰ってしまわれるのだそう。「一体、何が貴女をそうさせるの?!」、友人が半分あきれて、半分うれしそうに漏らします。こういう目に見えない熱気をゲストの皆さんは敏感に受け止め、本映画祭の虜になって帰っていかれるのでしょう。”また、絶対来たい!”と切望しながら。

 時刻は23時30分を回り、終宴が告げられます。すぐに追い出される訳ではなく、まだまだ話し込む人たちも少なくありませんが、十分に楽しんだ私たちはこのタイミングで、昨夜と同じ道を辿って宿へ向かうことに。映画祭御用達の相部屋の宿への経路も同じですから、10名ぐらいの集団でぞろぞろと・・・。私たちの横に、水戸から来られたKさんの姿があります。どこの宿かと尋ねると、何と同じ所ではないですか。この道はほんとに田舎道で、街灯の明りが届いていない場所もあり、ぶっそうなので、ミクシィの[湯布院映画祭コミュ]での私の書込みを見て同じ宿だと確信していた彼女は、ボディーガード代わりにするべく私たちにくっついて帰る事に決めていたというのが、後日分った真相でした。”そういえば・・・!”、昨日の夕方チェックインする際、私たちの前に受付けをしていたのが彼女だったのをいま思い出しました。これも後日知ったのですが、彼女は安い航空券が入手できなかったため、水戸から片道20時間ぐらいかけて主に夜行バスでやって来たそうなのです。昨夜は疲労困憊だったので、パーティーは泣く泣くパスする羽目に。Hさんと、いいとこ勝負です。岡山から『青春18きっぷ』で片道10時間ぐらいかけて往復する事の多い私なんて、まだまだ可愛いものだと思い知らされました。
 途中、宿へ続くあぜ道の所で、御用達の宿の皆さんとはお別れ。懐中電灯で足元を照らしながら、あぜ道を2〜3分歩けば、宿の前。ボディーガードも、これでお役ごめんです。宿は道を挟んだ両側にあり、彼女とは棟が別なので、「じゃあ、また明日」と手を振りながら、おやすみの挨拶を。このKさんとは明日・明後日の夜も勿論いっしょに帰りますが、もう1人仲間が増えることになるのです。どんなメンバーが加わるかは、また明日の話ということで━━。

湯布院映画祭レポート07(10)

 滞在3日目の土曜日も、朝の内は晴れ。朝食を済ませて、9時前にコンビニを出ます。私は用事があるため、すぐ公民館へ。友人は、まだ時間が早いので、駅舎内アートホールで休んでから会場入りすることに。用事というのは、今日から参加する宮崎の友人Sさんのため、今夜のパーティー券を買っておく事なのです。Sさんに初めてお会いしたのは、昨夏の本映画祭でしたが、Sさんの方は、私が応援している脚本家・今井雅子さんのHPでの私の書込みをずっと見てくれていたので、たちまち打ち解けて話し込んだものでした。また、ミクシィに誘って頂いたのがSさんだった関係で、ネット上で頻繁に交流が続いており、パーティー券の入手も気軽にお引受けしたのです。発売されるのは、当日の朝。以前は確か9時からだったので、それに合わせてやって来たものの、発売開始は9時30分との事。開幕前、今年は有名な俳優ゲストがいないので、各種前売券の売れ行きがあまり良くないと聞いたことがあります。パーティー券も、販売に関する問い合わせが多くなかったので、この時間設定になったのでしょうか。その動員については、いざ蓋を開けてみると、上映会場・パーティー会場とも多くのお客さんが詰めかけ、最終的には昨年を上回るぐらいの成績を残せたのでは。

 ロビーで、閲覧できるようになっている新聞を読んでいたら、友人がにこにこしながらやって来ます。何でも、駅で、大映京都組4人(田中監督と、西岡・森田・中岡の各氏)がお帰りになる所に遭遇したのだとか。十数人の実行委員が見送りに来ており、4人との記念写真を撮ったりもしていたので、友人はちゃっかり自分のカメラを実行委員に渡し、4人と同じフレームに収まることに成功! また、本映画祭を立ち上げるきっかけともなった映画「祭りの準備」(黒木和雄監督)のラストで原田芳雄がやっていたように、特急列車に乗ったゲストを、ホームから実行委員が「バンザ〜イ!」でお見送りする恒例行事にも参加できた、と自慢げ。そう聞こえるのは、私のやっかみのせい? 噂では聞いていたこのお見送り風景も、まだ実際に目撃した事はないのです。よしっ、明日のこの時間には駅で網を張ることにしよう。

 気づいたら9時30分になっており、玄関受付の所でパーティー券(4,000円)を購入。といっても、実際には券ではなく、白紙に名前を手書きしたのを差し込んで服につける名札を渡されます。入場前につけておき、退場時に返却する仕組み。行列というほどのものは出来ていませんが、販売が開始されてからしばらくは、購入者が続々とやって来ます。

■25日(土)■ ≪「彼女だけが知っている」・・・ 10:00より≫

 1960年、高橋治監督作品。客席は5〜6割の入りでしょうか。本作は、私が勝手にちょっとした縁を感じている1本なのです。湯布院への行き帰りに『青春18きっぷ』を利用することの多い私にとって、旅の友として文庫本は必携アイテム。23日の【日本映画職人講座 美術】の項で既に記しましたが、今年は岡山からの車中で「純情無頼 小説阪東妻三郎」という文庫本を読みながらやって来ました。実はこの本は、ミクシィの友人が日記で取り上げていたものなのです。その紹介文に惹かれて購入。そして、ミクシィの私の日記で”今夏の『湯布院』には、これを携えて行く”旨、春頃に発表していたら━━。
 この本の著者は、高橋治。そう、本作の監督その人なのです。氏は、松竹で長く小津安二郎監督についた後、本作を監督。後に作家に転身してからは、昭和58年に「秘伝」で直木賞を受賞しておられますが、映画ファンにとっては、小津安二郎のことをノンフィクションに近い形で描いた名著「絢爛たる影絵」の著者としての方が有名でしょう。
 と、まあ、そういう訳で、旧作の中で一番楽しみにしていたのが、本作なのです。【歳末で慌ただしい東京の街。捜査本部は、4日目ごとに出没する強姦殺人魔の犯人を、未だ逮捕できずにいた...。犯人を追う執念の老刑事とその娘の愛憎を軸に繰り広げられるハードボイルド推理劇(リーフレットの映画紹介より)】。

 映画は正直、期待ほどではなかったものの、ヒロイン役の小山明子が綺麗でしたし、1時間3分という短い上映時間の中で手際よく起承転結が描かれているので、気持ち良く観終りました。本作のこの短さはちょっと特別ですが、一般に昔の日本映画は1時間半程度のコンパクトな長さのものが多く、鑑賞する側も疲れずに済みます。最近の映画は、無駄に長い作品が多すぎ・・・。

 数分間の休憩時間にロビーへ出ると、ソファーに本日のゲスト・午後に上映される試写作品「かぞくのひけつ」の小林聖太郎監督が座っておられるのを発見。実行委員と談笑されています。私が今映画祭で一番期待しているのが、実はこの作品なのです。映画のオフィシャルHPの監督のブログで2〜3度やり取りさせてもらい、上映会場かパーティーの場での対面を約束済み。ひと言ご挨拶を、と近寄りかけたのですが、落ち着いて話せそうな状況でもなかったし、とにかく先に映画を観てからと考え、思い止まったのでした。スケジュールの都合でゲスト参加がなかなか正式決定にならなかった小林監督。こうして無事、おいで下さったのを確認できたのですから、今はそれで十分です。

■25日(土)■ ≪「見上げてごらん夜の星を」・・・ 11:10より≫

 1963年、番匠義彰監督作品。題名からピンと来る人も少なくないでしょう。坂本九ちゃんの主演作です。【高度成長の陰で、下積みに生きるワーキングプアの青春群像。主人公たちのひたむきさが、落ち着きのある演出でしみじみと描かれた、歌謡映画の佳作。あまりにも有名な主題歌が効果的に使われ、胸を打つ(リーフレットの映画紹介より)】。

 年齢層の高い『湯布院』の観客には、かなり気に入られた1本になったのではないでしょうか。退場時に、通路のすぐ前をHさんがバッグを下げた帰り支度で歩いておられるのに気づき、声をお掛けして、別れの挨拶を交わすと共に、いつの日か・・・来年すぐにでも当地で再会できるよう約束したのでした。有名な女優ゲストのいなかった今映画祭において、彼女はある意味、ヒロインの座をかっさらっていったのかもしれません。

 ロビーに出ると、予定通り宮崎から到着しておられたSさんの笑顔が目に飛び込んできます。ネット上で頻繁にやり取りしていたので、1年ぶりという気がしません。早速、パーティー券(名札セット)をお渡しして、立て替えておいた料金を受領。Sさんは宮崎土産をお持ち下さっており、県知事のイラストが当然のように入った箱入りのお菓子を頂戴したのでした。次の上映までは、1時間。頂いたお土産を置きに、一旦宿へ帰ることにします。友人もちょうど用事があったので、2人で往復したのでした。空は、うす曇り。復路ではコンビニでおにぎり等の軽食を買い込み、約30分後には再びロビーへ。手早く食べて、今映画祭での2本目の試写作品「かぞくのひけつ」入場待ちの列に並びます。入場は【@全日券 A前売券 B当日券】の順。行列も別になっています。

湯布院映画祭レポート07(11)

■25日(土)■ ≪特別試写「かぞくのひけつ」・・・ 13:45より≫

 上映開始15分前ぐらいに入場が開始され、私たちは右側通路脇センターエリアの前から2列目に。この会場の舞台はそれなりの奥行きがありますから、例え最前列でもスクリーンまではある程度の距離があり、観づらいという事はないのです。

 では、まず、本作の基礎知識(?)からご紹介しましょう。大阪の十三(じゅうそう)に、映画ファンの間では名前の知られた『第七藝術劇場』というミニシアターがあります。通称、ナナゲイ。2005年夏に一旦閉館したのですが、年末に再オープンする事になり、その際、「ニワトリはハダシだ」(2004年、森崎東監督作品。本映画祭でも2005年に上映)でプロデュースをした人が経営に加わることになります。で、せっかくだから記念として、地元・十三を舞台とした映画を作ることに。監督も大阪出身の新人がいいだろうと、「ニワトリは〜」で助監督を務めていた小林氏に話が持ちかけられます。予算1000万(超々低予算!)で、町おこし映画を━━。もっとまとも(?)な作品でそろそろデビューを、と考えていた小林氏は悩みますが、全国で公開されるようなものにはならなくて、どうせナナゲイでイベント的に上映されて終りだろうし、今まで自主映画も含めて監督というものをやった経験がなかったため、ちょうど良い肩ならしになるのではと、最終的には軽い気持ちで引き受けます。

 脚本の完成にも苦労しますが、思わず頭を抱える日々だったのが、ロケハンから実際の撮影期間にかけて。低予算の極みだったため、また、小林氏が今まで現場で一緒に働いてきた仲間たちの体が空いていなかったため、プロデューサー仕切りで大阪の自主映画チームの 若者たちをスタッフとして使うことになるのです。その結果、何ともしがたい壁に何度も ぶちあたってしまう事に...。

 一例を挙げると、プロのスタッフなら、脚本を読み込み、” これは ” という場所を 見つけてから、監督をロケの有力候補地に案内しますが、自主映画チームは脚本に描かれている場所の説明も満足に読み取れませんし、分かり易く指示されなければ動けないのです。初メガホンなのですから演出に専念したかったでしょうが、全然そうはいかず・・・。出演者は、秋野暢子さんや谷村美月ちゃんなどプロの俳優をキャスティングしていますから、当然彼女らを使っての撮影は期間が厳密に定められています。━━ よくぞ、完成させたもの。クランクアップの時、秋野さんからは「35年の芸歴の中で、最低の現場でした」との言葉が。「すいません」と頭を下げる監督に、「あんたは謝らなくていいの。逆に、こういうとこでやれたのだから、どんなとこでも出来ると思うよ。よう頑張ったね」と言ってくれたのだそう。
 こんな現場だったのに、しかも純粋に初メガホンだったのに、小林監督は本作の演出により、見事、【日本映画監督協会新人賞】を受賞!(その年度に1人だけ選出されるもの) 心情的に肩入れしたくなる気持ちを含め、今映画祭で一番注目し、期待しているのが本作という訳なのです。昨年12月からナナゲイで公開された際も、観に行こうかと思ったりしたのですが、実現できぬ内、ロングラン上映も終了。ずっと頭にあったこの映画が、『湯布院』で想定外の試写作品に決定したと知った時には、心の中で ” バンザイ! ” を叫んだものです。

 秋野さんがらみのエピソードをもう少し続けましょう。衣裳合わせの時、助監督がちゃんと地図をFAXしていなかったため、彼女は以前一度集まった稽古場の方へ行ってしまいます。1時間後、タクシーでようやく衣裳合わせの場所へ。が、監督の指示した感じの衣裳はまだ揃っておらず、また、在庫の服は秋野さんのイメージにも、監督たちのイメージにも合わず・・・。秋野さんは素早い決断で、近くの閉店間際の商店街へ繰り出してくれ、予算も気にしながら、てきぱきと衣裳を決めていったのでした。店が閉まってこの日決められなかった分は、次の朝、臨時で時間を取ってくれたのだとか。監督はじめスタッフ一同は、もちろん最敬礼です。

 他作品ですが、こんな逸話もあります。「ハッシュ!」での、秋野さんを含むメインキャストが揃っての修羅場シーン。何度も出来るものではない、凄いテンションを必要とするその本番を終え、秋野さんが全シーン撮影終了となった夜、事件が起こります。現像所で機械の故障により、そのシーンを収めたフィルムがダメになってしまったのです。仕方なく、リテイク(撮り直し)することに。翌日━━。前日の悪夢を引きずったままのスタッフ一同を救ってくれたのは、「また来ちゃったわよ〜」という秋野さんの明るい挨拶だったのです。そして、やり直したテイクは、前日のOKシーンを確実に超えるものになってくれたのでした。「もう、打上げまで来ないわよ〜」と去って行く秋野さん。本作は2001年度の『キネマ旬報ベスト・テン』で第2位となり、片岡礼子さんが【主演女優賞】に輝く結果となったのでした。

「ハッシュ!」の時といい、今回といい、秋野さん、ほんとに男前すぎます! 「かぞくのひけつ」は、主演が秋野さんでなかったなら、こういう成果を残すことは絶対なかったでしょう。これから、その映画を観ようかどうしようか迷った時、もし秋野さんが出演しておられたなら、きっと劇場に足を運ぶことになるでしょう。

 場内は、ほぼ満席。実行委員が交代で務める司会者は、舞台には上がらず、客席最前列の右奥にあるドアの辺りからマイクで喋ります。「この『かぞくのひけつ』は、春頃発表された【日本映画監督協会新人賞】を受賞した作品です。湯布院映画祭は新しい才能の発見も心掛けてきましたが、今回こういう作品を上映できスタッフを招待できたのをとても嬉しく思います。それでは、ゲストの皆さんに登場してもらいましょう」。少し待つも、ドアから入ってこられないため、司会が外を覗くと、ちょうど入れ替わりの感じでゲストの皆さんは袖から舞台にご登場。狙った訳ではないでしょうが、名刺代わりの笑いが軽く弾けます。小林監督は実は、元有名タレントの息子さん。公けの場では自ら語ることはないそうですから、ここでも公表は差し控えますが、ちょっとジャニーズ系の顔立ちをしておられます。それでいて、中味は溢れんばかりにサービス精神が詰まった方。今夜のパーティーでは、多くの人に囲まれることになるのでは。他の2人は、中村プロデューサーと、監督と共同で脚本を執筆した新人シナリオライターの吉川菜美さん。
 監督はデジカメ持参で、舞台から客席をパチリ。ブログにでも載せるつもりなのでしょうか。挨拶は、まずプロデューサーから、「難しいことを考えないで、観て下さい」。初々しい吉川さんは、「後のシンポでいじめないで下さい」(笑)。大丈夫、女性に優しいのが、『湯布院』の観客ですから。監督からは、「初めまして。たくさんの方が来て下さって、ありがとうございます。まさか、映画祭で上映される事になるとは思ってもいませんでした。そういう作品として撮ってないんですけどね。気を抜いて、楽な感じで観て下さい」。

 上映スタート。暗いままのスクリーンから、夫婦が罵り合うような台詞が聞こえてきます。夜中の設定なのでしょうか。そろそろスクリーンに何か映る頃かと思い始めたら、映写がストップ。トラブルのようです。2〜3分後に再スタート。が、またしても音声が流れるだけで、画が出てきません。

 2度目の停止。今度は場内が明るくなり、司会からお詫びのアナウンスが流されます。しばらくしてから、改めて詳しい説明が行われ、映写機の部品を交換しなければならず20分ぐらいかかるため、一旦ロビーに出てお待ち頂いても構いませんとの案内が。後日、原因は、映写室のクーラーが効かないため映写機が熱をもった事と、電圧が一定しない事だと判明。公民館長に改善を申し入れたので、来年は大丈夫な筈との情報が、私の耳に入ってきました。クーラーが効かないなんて・・・! 映写を担当されている方のご苦労が偲ばれます。幸い、場内がイラついたような雰囲気に包まれることはなく、” ま、たまには、こういう事もあるさ ” とハプニングを楽しんでいる感じ。

 予定から30分遅れとなった3度目は、ちゃんと映像も出ています。客席からは、” 良かった! ” と自然発生的な拍手が。そうでなくてもドキドキのゲストの皆さんは、これでやっと落ち着くことが出来たのではないでしょうか。もっとも監督は、後日ブログで読みましたが、この騒動をロビーでコーヒーなど飲みながら結構面白がっておられたようです。撮影の時の大変さに比べれば、大した事なかったのかもしれません。
【大阪・十三の商店街。地元の高校に通う賢治(久野雅弘)は、付き合って半年になる典子(谷村美月)と、キスはもとより手をつなぐことも出来ないでいる。それには深い訳があるのだが・・・。主人公の男の子と、その両親(秋野暢子,桂雀々)、そして父の愛人(ちすん)が絡んで、笑いあり、涙ありの人情物語が展開していく。現代版「夫婦善哉」、ここにあり。関西からまた一人、小林聖太郎(しょうたろう)監督という優れた才能が花開いた(リーフレットの映画紹介より)】。

 もっとアマチュアっぽい作りなのかと思っていましたが、全然そんなことはなく、冒頭の2〜3分を観て、すっかり安心。笑いも不発に終わることなく、快調にドッカンどっかんと炸裂しています。どこをどう切り取っても、ちゃんとしたプロの仕事。ほどなく、【日本映画監督協会新人賞】に輝いたのもなるほどと感じられるようになりました。
 出演者も、ほとんどが大阪出身。賢治役の久野雅弘くんは、2002年に試写作品として上映された「ごめん」で主役の小学生役を演じたあの男の子。近い設定であったため、類似した印象になるのを敬遠し、彼以外を探したものの、最終的には久野くんに。正解だったと思います。彼女役の谷村美月ちゃんは、演技力には定評のあるところ。特に今年公開の「檸檬のころ」の名演には讃辞を惜しみませんが、今回は普通の女子高生の典子役を、演技っぽくならずに演じています。映画が始まって間なし、映画館(もちろん『第七藝術劇場』)で賢治の手を握りかけたものの、引っ込められた典子は、その後、自転車に彼を乗せて、ふらつきながらも漕ぎ続け、ラブホの目隠しの中にためらわず入っていきます。━━と、すぐさま飛び出してくるのは、賢治。あ〜、情けない。実は、知識不足から、ある悩みを抱えていたのです・・・。

 賢治の母親・京子役の秋野さんは、たくましくて愚かで可愛い大阪の女(というか、おばはん)を、実力通りに自分のものにして、裏側からのみならず正面から映画全体をどっしりと支えていました。父親・宏治役の桂雀々は、枝雀門下。芸人は、映画やドラマで驚くほどの名演を披露する事が少なくありませんが、映画初出演の彼も、憎めぬ浮気親父役でいい味を出しています。愛人のゆかり役は、ここ湯布院を舞台にしたNHKの朝ドラ「風のハルカ」や映画「パッチギ!」などにも出演経験のある、ちすんさん。失礼ながら、初めて名前を耳にする女優さんであり、劇中の初登場シーンでも地味な印象で、2〜3シーンだけのちょい役の女の子かと思っていたぐらいなのですが・・・。
 本映画祭に私が初参加した2000年に上映された「風花」(相米慎二監督)の映像が、劇中のスクリーンで流され、ちょっと嬉しくなりました。「かぞくのひけつ」の製作者が、同作のプロデューサーの1人であり、使用しやすかったからだとか。

 ばからしい設定も、舞台が大阪ならなぜだか許せてしまいますし、怪優テントさんの変唄は一聴の価値あり。演出は息切れすることなくテンションを保ち、終盤に近づくまで笑い声が絶えることはありません。クライマックスは、宏治がゆかりを住まわせている一軒家へ、次々引き寄せられるように主要人物が集まってきてのドタバタ劇。クローゼットを上手く使って、見事に笑いをピークに持っていってくれました。もう十分に、期待を裏切らない面白さを味わわせてくれましたが、あと一つ何かが欲しいのです。具体的にこういうものだと、言葉に出来ないのがもどかしいのですけど。不満を感じているのではありません。プラスアルファーが加われば、私にとってベストテン級の作品にまでレベルアップしてくれるのです。
 その瞬間は、ふいにやって来ました。随分とゆかりに振り回されてきた賢治ですが、2人はそれなりに心を通わせるように。「ほんなら、色々ありがとうね」と別れていく場面で、彼女は手を差し出します。恥ずかしがって応じない賢治。ゆかりはその手を取って、優しく握手。ここで、胸がざわっとして、軽く肌が粟立つ感じに襲われたのです(理由はシンポの項で)。そして、鼻の奥がつんと・・・。” これだ! ”、これが欲しかったのです。まさか、本作で泣かされそうになるなんて。笑いと、” 涙 ”。探していたピースが、もやもやしていた箇所にぴたりと収まり、お陰ではっきり ” 満足した! ” と親指を立てることが出来ます。後は着地に失敗しないこと。

 色んな意味で大人になった賢治が、自転車に典子を乗せて目指すのは━━。そう、予想通りあの場所。ここは、予想通りで良いのです。予想通りだから、嬉しくなるのです。さて、その結果は・・・? 東京では、大阪に遅れること丸1年、今年の12月にようやく公開されます。DVDは、来年の4月頃リリースでしょうか。スクリーンか、公開されない地方の方はDVDで、ぜひ確認して下さい(京阪神や名古屋では公開済み)。
 ナナゲイでの初日に、舞台挨拶の行われた後、満員の地元の方々と一緒に本作を観られたなら最高だったでしょうが、上映後好きなだけ拍手を送れる本映画祭の客席も、環境的には負けていません。” 来て良かった! ” と思える1本に出合えました。が、いつまでも手を叩き続ける訳には。シンポで最前列につくべく、急ぎ足でロビーから2階へと向かいます。

湯布院映画祭レポート07(12)

■25日(土)■ ≪シンポジウム(「かぞくのひけつ」)≫

 無事、友人と2人分の席を、最前列の端に確保。ゲストの3人が、長テーブルの向こうの席につかれます。監督はまたもやデジカメを客席に向けながら、「逃亡中だとかで写真を出されたくない方、言って下さいね(笑)。ブログをやってるものですから」。シンポは1時間30分の予定でしたが、映写トラブルの影響で1時間に短縮されることに。発言するなら、早めの挙手を心がけなければ。
 司会より「低予算映画のひけつや、シナリオのひけつなど、お聴きできたらと思っています」の前置きに続いて、改めて【日本映画監督協会新人賞】受賞の紹介とお祝いが述べられます。場内から、大きな拍手。同賞の候補作は、「フラガール」・「ゆれる」・「かもめ食堂」などそうそうたる顔ぶれだったのですが、それらを退けて、本作に栄誉が。「決め手は?」と尋ねられ、監督は「わかんないですよ」と苦笑。男の私が、” 監督の笑顔が可愛く感じられた ” などと書くと気持ち悪がられますが、絶対、周りにいる人たち皆が応援せずにはいられない得なタイプに思えます。代わって、中村プロデューサーが口を開き、「選考会では、長谷部安春監督が『この作品には敵わねぇな(自分には描けない)』と言ってくれたのが決定打になったようです」と補足。中村氏は、同じ助監督時代に兄貴分的存在であった人で、本作ではプロデューサーとして力を貸してくれているのです・
 司会が「小林さんに先に監督デビューされちゃった訳ですよね」とストレートな物言いで軽いフックを。中村氏は意図を察して、ちょっと大袈裟に「不本意ですね!」(爆笑)。続けて「てっきり俺だと! そうしたら、小林がなかなか監督を引き受けないので、口説いてくれと頼まれまして。別口での監督デビューの話もあったみたいなんですよね。で、仕方ないから、口説いて、首を縦に振らせました。クランクインしてからも、途中で ” こいつ、殺したろか! ” と思うことも(笑)。前の晩考えてきた苦肉のプランを、『あ、それ、ないですね』なんて軽く言われまして」。監督は否定せずにニコニコと、「どこまで通るかな、と毎日、目を見ながら・・・」。中村氏が、「さっきのは嘘です。監督は、ほんとはすごくいい奴ですから」と話をまとめます。

 次に、共同脚本の吉川さんへ、「日本映画学校で荒井(晴彦)さんの下で学ばれたそうですが、今回の執筆において教えが役に立ちましたか?」。荒井さんと師弟関係にあったとは初耳です。教え子の晴れ舞台ですから、きっと後方に立って見守っておられることでしょう。吉川さんは、緊張のためばかりではない言いにくさで、「荒井さんの言葉が、私の血や肉になり、映画の血や肉になったと思います。もう・・・、本人がいるのに」(笑)。当然、荒井さんの元へマイクが届けられます、「お客さん笑ってたし、いいんじゃないの」。吉川さんは、監督と毎晩のように打ち合わせで会ったのだそう。「じっくり書く時間がなくて。具体的にシナリオのどの部分を書いたのか、はっきり覚えてないんです」。中村氏に、監督の演出についてお訊きします、「助監督を兼務していたので、忙しくしてました。監督からは、要所要所へ1人でもいいから信頼できる人間を置いてくれという要望がありましたね。自主映画のスタッフが一生懸命やってくれました」。

 観客からの感想や意見を述べるコーナーに。「艶笑王道喜劇。会場がこれほど爆笑で沸いたのは久しぶり」と、最初の人はたっぷりと讃辞を。監督は、「褒めてくれたので、このポストカード差し上げます」(笑)。映画のポスターと同じものが裏面に刷られたハガキを客席に見せます。場内サポートの実行委員が1枚受け取り、さっきの人の手元へ。” いいな〜、欲しい! ” というざわめき。
 人参を鼻先にぶら下げられたこともあり、3人目か4人目には私も、今映画祭で初めて挙手したのでした。「岡山から来ました○○と申します」と名乗ると(常連はたいてい同様に)、監督はブログに書き込んだ『岡山のTOM』だと気づいて下さったご様子。「この映画祭で一番楽しみにしていた作品です。期待以上の出来で、十分に満足しました。俳優で最も印象に残ったのは、愛人役のちすんさんで、最初は地味で冴えない感じだったのに、どんどん綺麗に見えてきて、いっぺんにファンになってしまいました。シーンでは、彼女と賢治が別れの挨拶を交わすところ。ためらう賢治の手を取って、ちすんさん演じるゆかりは優しく握手します。映画館でガールフレンドに手を握られそうになって、引っ込めた事など知っている筈はありませんが、” 頑張りや ” と励ましているように思えて、ちょっとじ〜んときてしまいました。もちろん、たっぷりと笑わせてもらいましたし、とてもいい作品でした」。めでたく、ポストカードを入手。それよりも、映画が満足のいく出来だったので、今夜のパーティーで監督に笑顔で話し掛けられるのが嬉しくてたまりません。また、シンポで発言せずにはいられない作品に出合え、実際に発言も行えたので、” 今年は、もう満足 ” といった感じに。

 友人も発言します、「1時間23分という長さがとても良いです」。それから最近公開された邦画のタイトルを挙げ、「上映時間は2時間1分もあります。ムダに長い」とこきおろし。本業を活かして販売の手伝いを毎年され、すっかり実行委員の1人だと思われている常連のH田さんからは、不満だったとの感想。この方の発言には、どんな内容の時も人間味が感じられ、ゲストもしゅんとなる事はありません。で、発言の最後は、「色々文句言いましたけど、発言したので、ハガキ下さい」(爆笑)。監督たちも、” やられた! ” と苦笑するしかありません。
 1時間は、あっという間。最後に監督がマイクを手にされます、「映画のパンフレットを20冊持ってきまして、販売コーナーに置いてありますので、宜しくお願いします。また、余ったポストカードはずっと持ち歩いていますから、パーティー会場ででも声かけて下さい。感想聴かせてもらえば、プレゼントしますので」。終了となり、拍手を送りながら、監督にご挨拶しようかなとも考えたのですが、やはりパーティーでゆっくりお話ししようと、楽しみは後回しすることにしたのでした。予想以上に苦戦することになるとも知らずに・・・。

 1階へ降りて、早速パンフレットを購入。私は、ゲストにサインや写真をお願いする事はほとんどありませんが、こういうちょっとしたつながりを持てた方は別。パーティーでは、パンフに監督のサインを頂戴しなければ。20冊は、あっさり完売したようです。ロビーのソファーでパンフをめくりながら、映画の色んなシーンを回想していきます。登場人物たちには、大阪での最高の褒め言葉の一つを謹んで贈呈しましょう━━「ほんま阿呆やなぁ」。

湯布院映画祭レポート07(13)

■■25日(土)■ ≪「人が人を愛することのどうしようもなさ」・・・18:00より≫

 例年、土曜日の夜には、人気の高い試写作品が組み込まれる事が多く、今年は、 久しぶりの『湯布院』となる石井隆監督の完成したばかりの新作が、 その座に。やはり、土・日に観客が集中しますから。 この夜のパーティー会場で開かれたミクシィのオフ会で知り合うことになる女性2人も、 同じ九州の他の県から来られた土・日参加タイプの方。毎年4泊5日コースで 堪能できている自分を改めて有難く思います。 場内は、意外にも8割程度の入りで、空席もあちこちに。【R-18】指定なので 敬遠されたのかもしれません。
 今映画祭では5本の試写作品が上映されましたが、残念ながら、主演女優を1人もゲストとしてお迎え出来ませんでした。本作の喜多嶋舞さんあたり、おいで頂けるのではと期待していたのですが。不参加の訳はスケジュールの都合ということでしたが、10月になって、第二子を懐妊されているとのニュースが届きました。本作クランクアップ後の6月に妊娠が判明したのだとか。映画祭が開催された8月下旬といえば、安定期に入る前ですから、長距離の移動等は体に良くないため、いらっしゃれなかったのでしょう。理由がはっきりして、ちょっとすっきりしましたが、やはり残念。

 ゲストの皆さんの舞台挨拶の前に、ある出演者からのビデオメッセージがスクリーンに映されます。━━台風に襲われた2004年の映画祭のクロージングで監督・主演作の「サヨナラCOLOR」が上映され、東京からの飛行機はきわどく到着したものの、翌月曜日は宿に閉じ込められ、帰京が1日遅れる羽目になった時以来の竹中直人さん。
 どこかの楽屋で、置いたビデオカメラに向かい、独りで喋ったもの。まず、題名についての突っ込み、「『人が人を愛することのどうしようもなさ』、長いからといって『人人』とか縮めちゃダメですよ。『火サス』『木スペ』『土ドラ』・・・、でも、『人人』はないだろ(笑)。湯布院の皆さんと一緒に観たかったな〜」。手を振ったり、投げキッスまで。「観たら、ゲストの皆さんを褒め殺しにして下さいね。実は私・・・、まだこの映画観てないんですけど」。たぶん完成したのがつい先日の筈なので、それも当然でしょう。時々ぐたぐたになり、同じことを繰り返し口にしたりするお得意の竹中節で、たっぷり5分ぐらい語りかけてくれました。途中から、何度もタイトルを「人人」と縮めて言うのは、お約束のギャグ。
 ところで、このビデオメッセージ、上映後に観客からすごいブーイングを浴びせられることに。というのも、竹中さん、ご自身の役柄を漏らしてしまったのです。たぶん、自分では何気なく。映画のラストで、彼が何者か明らかにされる所が重要なポイントであったのに。完成した映画を観ていなかったせいでしょう。ミステリーもので犯人につながる重要なヒントをバラしたような愚挙。まあ、この始末は、来年ゲストで来場し、直接本人の口から観客に詫びてもらう事でつけてもらいましょう(笑)。

 舞台挨拶に登壇されたのは、石井隆監督、撮影の佐々木原保志氏、音楽の安川午朗氏。佐々木原氏からは「挨拶があると思ってなかったので・・・。また、後のシンポで」、安川氏からは「逃げないで観て下さい」と短い挨拶が。最後に、石井監督、「R-18指定なんですよね。反権力とかの大義もなく、男と女をとことん描こうとしたら、こうなりました。過激さにびっくりして困ってしまう方がいるかもしれませんね」。メガネをかけた、穏やかで真面目そうな方。こういう色んな意味でハードな映画を撮るような人には、とても見えません。司会が「覚悟して観て下さい」と締めくくります。
【「死んでもいい」「ヌードの夜」、そして「夜がまた来る」から13年、遂に ” 石井隆監督&土屋名美 ” 映画が完成した。今度の名美は、映画女優! 多忙を極める名美(喜多嶋舞)とは逆に、下り坂の年上の俳優の夫(永島敏行)との間には、すれ違いが。撮影に入った新作は、奇しくもそんな名美の心理を写すドラマになっていたのだった。昼と夜、女の光と影、虚実が反転して、衝撃の結末へ・・・(リーフレットの映画紹介より)】。

 喜多嶋舞が、文字通り体当りの熱演で、ヒロインを演じ抜きました! 正に、全てをさらけ出して。その女優魂には頭が下がりますし、そもそも彼女が出演をOKしなければ、この企画が実現する事はなかった訳ですから、大きな拍手を送るのにためらいはありません。しかし、物語が私にはハードすぎるというか、濃すぎるため、彼女のヌードにもそそられることはなく、いやらしい気持ちが起こってはくれなかったのでした。映画にも、いまいち入り込めぬまま・・・。そうこうする内、エロティック面での溢れんばかりの期待が裏切られ気落ちした事もあってか、勿体ないことに途中で居眠りしてしまったので、本作の複雑で挑戦的な多重構造を、あまり理解することが出来ませんでした。後のシンポで、” そうだったのか! ” と気づかされることばかり。
 1回目は男女のからみを中心に観て、2回目は物語の世界に浸り、複雑で多層的な構造に唸るのが、賢い鑑賞法かもしれません。11月には早くもDVDがリリースされますから、ぜひレンタルしてしっかり観直したいと思います。

■25日(土)■ ≪シンポジウム「人が人を愛することのどうしようもなさ」≫

 監督ファンの友人に合わせて、最前列へ。間もなくゲストの皆さんが入ってこられ、長机の向こうにご着席。左端の司会席に続いて、プロデューサー氏、脚本・監督の石井隆氏、撮影の佐々木原氏、音楽の安川氏の順。男ばかり4人・・・。せっかくおいで下さったのに申し訳ありませんが、女優ゲストがいらっしゃらないので、私の中でのテンションは正直、低め。が、他の参加者の多くは、石井隆監督の永遠のヒロイン ” 名美ワールド ” を十分堪能されたみたいで、やや紅潮した感じのまま客席を埋めておられます。当然、満席となり、立ち見の人も多数。
 まずはプロデューサー氏から製作の経緯をお話し頂きます。「別の作品を準備していたが、 駄目になり、急遽他の話をという事で、監督からこの映画の企画が出てきました。 昨年『GONIN2』(1996年/喜多嶋さんも出演)を DVD化する際、コメンタリー収録で喜多嶋さんと久しぶりに会ったりしていたので、こういう形になりました。今週の月曜日まで直しをやってまして、完成したばかりです」。司会者が「複雑な構成の映画なので、代案ですぐ出てきたとはとても思えません。昔からあったシナリオなんでしょうか?」。本作の配給は、東映ビデオ。2年ぐらい前から何か作ろうとあれこれやってきたもののまとまらず、石井監督に無駄な時間を費やさせてしまったということで、今回は一気呵成に決まったのだそう。監督より、「公開日が定められ、逆算してクランクインの時期も決まりました。竹中さんの事務所は、石井の映画には竹中さんを出演させないという時期もありましたが、喜多嶋さんも同じ事務所であり、彼女が主演なので、今回は竹中さんにも出てもらえる事になりました。で、シナリオですが、これは、以前からあった、ストックの中の1本です。喜多嶋さんがOKしたことで、予算がバタバタと決まっていきました」。

 佐々木原氏はこの数年間、石井監督とのコンビ作がありませんでした。 「ここ6〜7年、精神衛生上、安定した作品をずっとやってきました(笑)。 今回はセット撮影が9割という話でしたが、 そんな楽な事はないだろうと思っていたら━━、案の定、そうなりました(笑)」。 安川氏は、監督のデビュー作を除き、あとは全て石井作品の音楽を担当されています。 その数は、17年間に14本。「シナリオを読んで、撮影前から音楽を作っていく方法を取っており 、キャッチボールを繰り返しています」。過激にというのは、 東映ビデオからの要望の中にあった、とプロデューサー氏。 監督からの苦言は、やはりあの問題について、 「ビデオメッセージで竹中さんが自分の役をバラしてしまったので、ちょっと・・・!(笑)  肝心なポイントだったのに。」照れ屋なのかいつも伏し目がちで、 客席の方もあまり見ず、声も大きい方ではない監督ですが、 この時ばかりは2〜3割増の声量だったよう思います。

 客席からの発言コーナー。喜多嶋さんの母親は、黒澤明監督の「赤ひげ」にも重要な役で出演し、電撃結婚により若くして芸能界を引退した永遠の清純派、「あの内藤洋子の娘にここまでやらせるのか!」と、のっけから沸かせてくれます。友人も、最初の頃に挙手し、「監督と同じ仙台出身で、長年のファンです」との前置きに続いて、過去の石井作品にも言及しつつ、深く幅広く、それでいて簡潔に「人人」への讃辞を展開。「砂金を探すようにすくい上げてみれば、そこに残るのは、村木と名美の報われない愛の姿でした」と締めます。監督も ” ここまで理解してもらっているとは! ” というみたいに感激した表情で頭を下げられます。また、司会役は、実行委員の中心的存在のお1人:Yさんが務められていますが、彼からも「石井監督の世界を見事に捉えた発言だったように思います」と賞賛の声。友人として私まで嬉しくなりました。

 同じ岡山県から参加されている『湯布院』の先輩Oさんも、ほとんどのシンポで発言なさる方。「人人」で観客は、色んな世界に放り込まれます。現実世界・・・、劇中劇としての映画の中の世界・・・、名美の世界・・・等。撮影はもちろん全て佐々木原氏ですが、Oさんは作品を褒める発言の終わりの所で「それぞれの世界ごと、別のキャメラマンが撮ったように思わせる工夫などはされたのでしょうか?」と質問。佐々木原氏からは「特にしてません」との回答に続き、発言内容とこの質問に対して「すごい所まで観てますね!」と感嘆の言葉が漏れます。司会者も、「今年のシンポはレベルの高い発言が多いですね〜」と誇らしげに同調。
 監督が本作誕生のきっかけを詳しく教えて下さいます。「昨年1月に『GONIN』(1995年)・『GONIN2』(1996年)のDVD用のオーディオコメンタリーを録ることになり、両作の出演女優に声を掛けようとしたんですが、皆さん、それを頼むのがためらわれるような売れっ子になってしまわれて・・・。舞ちゃんだけが、「やる、やる」と出てきてくれたんですよね。その夜、酒を呑んだんですが、突然、私の前で口紅を塗り始めたんです。それを見て、昔書いた本作のシナリオが頭に浮かんだという訳で。後で、あれはリップクリームだったと分かったのですが」。監督は、芸能ニュースはほとんどご覧にならないため、喜多嶋さんの結婚 〜 第一子出産 〜 離婚についても、あまりご存知なかったのだとか。喜多嶋さんは『GONIN2』でもヌードになって熱演しており、あのイメージを抱いていたら、今回撮影が開始され裸体を目にした時には、色んなところに年齢の経過が現われていたので、ちょっと驚かれた模様。客席からは、「食べ物が一番美味しいのは、崩れる寸前。最後の食べ頃として、喜多嶋さんは良い判断で出演を決心されました」(笑)とナイスフォローの発言が。・・・ほんとに、フォロー?

 本作の出演に当って喜多嶋さんは、再婚して旦那さんになる人から当然のように反対を受けます。その時の彼女の対応について、監督は「『女優20年やってきて、この脚本には震えがきた。これをやらなければ、20年は何だったんだ。やります!』と言ってくれたんですよね。監督冥利に尽きます。その演技は、20年の蓄えを活かし、驚くほど素晴らしいものでした」。ラストは涙が出たとの女性からの感想も、複数。喜多嶋さんが聴いておられたなら、どんなにか嬉しく思われたことでしょう。
 本作で目につくものといえば、タイトルも挙げられます。元々は、別のアクションもののシナリオにつけていたのですが、「それは、たぶん映画化は一生無理でしょう」。でも、このタイトルは絶対いつかは使いたいと思っていたので、「長いけど、『人人』と縮めて呼ぶ事も可能なので、これに決まりました」と監督より。

 密度の濃い、本作に惹き込まれた人にとっては評価がますます上がるような、ずしりと手応えのあったシンポでした。最後にゲストの皆さんからひと言ずつ。ブロデューサー氏は、「難しい構造ですが、感じ取って頂ければと思います」。次に安川氏、「エロスに慣れて、麻痺しないようにして下さい」。佐々木原氏は3度目の参加ながら、過去2回はずっとお酒が入っている状態だったので、シンポもよく覚えていないのだそう、「楽しかったです」(笑)。締めはもちろん監督より、「スタッフは血まなこになってくれている中、監督は冷静になっていなければと思って、やってきました。でも、徐々に興奮してきて、クランクアップ。0号試写で高揚し、初号で色んな意見が出てきて、興奮も醒め・・・。ちょうど一番落ち込んでいる時期に、ここへ来まして、ゲスト席で上映を観ていると、途中で1人帰り、また1人席を立ち・・・というのが目に入ってくるんですね(笑)。でも、このシンポですごく元気になりました!」。顔を上げられた監督に、そしてゲストの皆さんに、大きな拍手が送られます。

湯布院映画祭レポート07(14)

■25日(土)■ ≪パーティー ・・・ 22:00より≫

 今夜の会場へは徒歩で向かいます。7〜8分の場所にある[ゆふいん麦酒館]。屋内での立食パーティーです。入口で生ビールのジョッキ1杯券を受け取り、館内へ入ると奥へ進んでその列に。普通か黒かを選び、注いでもらって、好きなテーブルへつきます。バイキング方式なので、ジョッキを置くと、まずは友人が取り皿を手に料理の方へ。帰ってくるのを待ち、選手交代。実は、当会場の料理は年々質が落ちていたのですが、今年は以前のレベルに戻っています! 始まりの乾杯の発声や、どなたかの挨拶もあったのですが、料理に目を奪われていたため、ほとんど記憶にありません(謝)。2度、3度とお皿から溢れるほど持ち帰り、お腹を満足させていきます。この会場ではミクシィのオフ会が予定されており、幹事役を務めて下さるOさんが、近くのテーブルから ” そろそろ始めましょうか ” とアイコンタクトしてきますが、まだまだ食べるのに夢中だったため、すぐにはそちらへ移動できません。何しろ、昨日までのパーティーにはなかった、デザートのスイーツ類まで充実しているのですから。
 それでも、普通の大きさの胃袋しか持ち合わせていないので、程なくリミットに達し、箸を置くことに。さあ、オフ会です。特に一番端にあるという訳でもないテーブルの3分の2ぐらいを使い、ぐるりを囲んだ参加メンバーが自己紹介をしていきます。お土産を頂戴した宮崎のSさん、昨日公民館の玄関の所でたくさんお話しした本映画祭の実行委員でもあるAさん、小倉から来られた本日よりご参加の女性L(ミクシィネームの頭文字)さんは、Oさんとは食やお酒を通じてのご友人でもあります。もう1人の女性は、天草よりお車で来られたI(ミクシィネームの頭文字)さん、同じく本日からのご参加。全員で6名のこぢんまりとした会になりましたが、当会場は客の話し声が壁や天井に反射して凄くうるさく、すぐ隣りの人の声ぐらいしかはっきりとは聞こえないため、適当な人数でした。談笑していると、横をゲストの俳優や監督たちが普通に通っていかれます。あちこちから声がかかり、にこやかに手を振り返したりしながら。

 後で分ったのですが、Iさんは何と「人人」のシンポで発言しておられたのだとか。今年で確か5回目ぐらいのご参加ですが、毎年どの作品かのシンポで挙手されていたようです。どうしても女性の発言の少ない『湯布院』ですから、貴重な存在。来年のシンポは、Iさんに注目です。20代のLさんはお綺麗なのに、ゲストと話したりするのには消極的。彼女に声を掛けられて喜ばない男性ゲストはいないと思うのですが。でも、内面にはかなり男前な部分も秘めておられるのが、映画祭終了後に判明してくることに。というのも、翌日曜日のパーティーでもお2人とは色々お話しでき、ミクシィでの友人関係を結ばせてもらったからなのです。来年また一緒に参加できたなら、ハグして再会を喜び合おうと約束済み(ハグについては、私が勝手に付加)。お2人や、同宿のKさんには、これから拙レポートの常連になって頂けることでしょう。さて、そのKさんがこの時間、会場内でどうしていたかというと・・・。昨夜到着し本日から参加の、宿で相部屋の女性Wさんと、明日の試写作品「実録・連合赤軍」のゲストの中でのお目当ての男優を迎え撃つ計画を練っていたのです。結果は、また後で。

 今夜のパーティーでの特別な目的は、このミクシィのオフ会と、「かぞくのひけつ」の小林監督にご挨拶すること。オフ会を抜け、監督のお姿を探して十幾つあるテーブルを見て回りますが、なかなか見つけられません。1周して戻って来ると、何の事はない、近くのテーブルにおられるではないですか。鍔(つば)のないお洒落な帽子をかぶっておられたため、気づかなかったのです。両側に数名の一般客がおり、話に花が咲いているご様子。そうこうする内、パーティーも半ばとなり、ゲストの皆さんが順番に、センターの壁際にあるステージに呼ばれます(数十cmの高さの半円形の舞台)。ひと言ずつ挨拶をして頂くのです。最初に、「かぞくのひけつ」組。中村プロデューサーが、「上映前に拍手が起ったのは初めてでした」と、映写トラブルをネタにまず笑いを取ります。次に脚本の吉川さん、「3人ともにデビュー作でした。笑い声が聞けて、良かったです」。いつもニコニコしておられる監督は、いい意味で力が抜けているように思えます、「『湯布院』は厳しいと聞いてたけど、褒めてもらえて、” あれ? ”。いいのかな? ほんとかな? ありがとうございました」。拍手を浴びながら舞台から降り、元いたテーブルに戻ろうとしますが・・・。途中で監督は、さっきとは別の一般客たちに囲まれます。みんな話したがっているのでしょう。
 ステージには、続いて「人人」組。シンポと同じ4人のメンバーがマイクで挨拶されますが、場内のざわつきがますます大きくなっていたため、はっきりとは聞こえませんでした。

 今度は、明日の上映作品の組。「実録・連合赤軍」のゲストは、若松孝二監督と大友麻子プロデューサーに、俳優が4人。全員で6名という大人数。ここ『湯布院』のゲストは、交通費等の関係で1作品3名までと決められているのですが、この人数でというのが、本作を出品するに当っての監督サイドの条件であり、映画祭側もどうしても上映したかったため、受諾することに。上映時間が3時間10分と凄い大作で、「普通の2本分の長さなんだから、ゲストも倍にしてくれよ」と、これは伝え聞く監督の言。メインキャストの若手俳優たちが体当りの演技で頑張ってくれたため、1人でも多く連れてきたかったのでしょう。6人は、お揃いのなかなかカッコいいTシャツ姿。ゲストでいらっしゃっている、俳優でありトップモデルでもあるARATAさんがデザインしたものなのだそう。スタッフTシャツといったところでしょうか。俳優ゲストの他3名は、「赤目四十八瀧心中未遂」で主人公を演じた大西信満(しま)さん、「ある朝スウプは」の主演女優・並木愛枝(あきえ)さんに、舞台経験の多い地曳(じびき)豪さん。挨拶で目立ったのは、 豪さん。マイクなしで肉声を張り上げ、元気な挨拶を飛ばしてくれました。程よい気合の入り方。
 クロージング作「やじきた道中 てれすこ」からは、2001年に「笑う蛙」が上映されて以来となる平山秀幸監督、主演のお1人である柄本明氏、プロデューサーの久保田氏、それから「人人」で音楽を担当されていた安川氏がダブルでこちらにもご登場。常連の柄本さんが、「今年も来ちゃいました」と笑わせて下さいました。

 再び、歓談タイムに。友人の姿を見ていませんが、たぶん石井監督あたりとお話しているのでしょう。今夜は完全に別行動です。小林監督はというと、まだまだ何人もに取り囲まれたままなので、ちょっと方向転換。柄本さんがいらっしゃっているなら、お話ししなければならない事が。飲物コーナーでお酒を作ってもらいテーブルに戻ろうとしておられた氏に声をお掛けします。実は、10月に開催される『甲賀映画祭』(滋賀県)でも「かぞくのひけつ」が上映される関係で、同映画祭実行委員の方とミクシィで知り合いになったのですが、柄本さんは同映画祭で日本プレミア上映される「呉清源 極みの棋譜」という中国映画(滋賀県にてロケ)にメインキャストの1人として出演されているのです。柄本さんにゲスト交渉中なのだけど、配給会社を通じてでないと行えないし、スケジュールの都合で難しそうなので、” もし『湯布院』でお会いしたなら、宜しくお伝え下さい ” と頼まれたため、” 今夜か明日のパーティーで是非! ” と意気込んでいたところ。
 使命を担っていると、臆せず話し掛けられます。 8月の終わりに、この映画の監督や主演俳優が来日し、会見やイベントが行われましたが、 この日の時点で「呉清源 極みの棋譜」の事を知っている人は、映画ファンの集う当会場内でも数人ぐらいのものだったでしょう。そんな映画のタイトルを私が口にしたものですから、柄本さんは少し驚きながらも快く話に応じて下さいます。本作が『甲賀映画祭』の目玉としてプレミア上映される事、実行委員の皆さんが柄本さんのゲスト参加を強く願っている事をお伝えし、「スケジュールが合えば、どうかゲストとしてご出席下さい。もし柄本さんが来場されるなら、私も『甲賀映画祭』への初参加を考えているんですよ」と続けたのでした。嬉しそうに聞いておられた柄本さんは、「私は出演した映画の試写会にはほとんど行かないんですが、『呉清源』には足を運びましてね、これがなかなかいい出来なんですよ」と話して下さいます。「柄本さんとお話し出来たこと、『甲賀映画祭』の実行委員の方にしっかりお伝えしますから。明日の『やじきた道中 てれすこ』、楽しみに観させてもらいます」とお別れしたのでした。

『甲賀映画祭』で「呉清源 極みの棋譜」が上映されるのは、10月21日(日)。柄本さんは、9月から10月にかけて広島県内で撮影中の新藤兼人監督の「花は散れども」に、メインキャストのお1人として出演されていますから(主演?)、同映画祭へのゲスト参加は必然的に無理に。撮影予定が変更されたり、天気都合等で、もし上映当日に体が空き、急遽 ” サプライズゲストとして、甲賀映画祭会場に参上! ” なんて事になったら、” 万歳! ” なのですが。

 柄本さんと気持ち良く言葉を交わせたので、” ゲストと話しまくるぞ! ” モードのスイッチが入ってしまいました。今度は、テーブルで飲物を手にしておられた平山監督にご挨拶。2005年に私が初参加した『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』で、審査員を務められていた監督とパーティーでお話させてもらい、別れ際「またどこかの映画祭で会いましょう」と言って頂いた事があるのです。そんな接点をお伝えした後、5月に公開された「しゃべれども しゃべれども」の話題へ。「予告編でも鼻の奥がつんときていたのですが、本編では2度も3度も心地よく泣かせてもらいました」。監督から「どこら辺にぐっときてくれたんですか?」と訊かれたので、まず頭に浮かんだ ” 香里奈さん演じる五月が演目を急遽変更して「火焔太鼓」を披露するシーン ” だとお答えすると、「あそこが心に響いてくれたのなら嬉しいな」と頷いて頂けました。「『しゃべれども〜』を『ゆうばり応援映画祭』(今年2月に開催)に出したかったんですけどね」と監督から打ち明け話が。配給会社のOKが出なかったのだと、残念そう。『ゆうばりファンタ』は来年3月に復活開催される事が正式決定。「ほんとに良かった!」と2人でグラスを合わせたのでした。

 何日か前に「しゃべれども〜」DVD化のポスターを目にしていたので、「出演者の落語シーンで本編ではカットされた部分が特典映像に収録されるなら、買おうと思ってるんです」と口にすると、「たっぷり入ってますよ」との嬉しいご返事。DVDのリリースは11月上旬予定。監督、通販でしっかりと予約しましたので!(普通、特典映像が付くのは価格の高いバージョンの方ですが、本作は初回限定扱いで通常版に特典映像が付加されるというお得なサービス。配達日が楽しみです) 「また、どこかの映画祭でお会い出来ますように!」と、監督のテーブルを離れます。この頃、同宿のKさんはWさんと、ARATAさんたち「連赤」組の皆さんとの接触に成功し、たくさんお話しすると共に、一緒の写真まで撮らせてもらっていた模様。映画の上映される明日夜のパーティーはARATAファンが多くなるであろうから、今夜の内に突撃しておこうとの作戦は、見事読み勝ちだったと言って良いでしょう。

「連赤」組の皆さんがまとまって座られている、休憩用の椅子の並べられた一隅から程近い所で、小林監督を囲む人の輪が解けるのを待っている私━━。ようやく人数が少なくなり、そばへ寄ることが出来ました。タイミングを見計らい、「監督、ようこそいらっしゃいました。ブログに書き込ませてもらった者です」とご挨拶。「ああ、どうも」と、監督は笑顔を見せて下さいます。「シンポでも申し上げましたが、すごく良かったです。満足しました!」。監督は、照れた素振り。「それにしても、みんなに囲まれて、大人気ですね」。「不思議なことに」と、ご謙遜。「こういうスタッフでの監督デビュー作で、これだけのレベルのものを作れたんですから、ちゃんとしたプロのスタッフで固めて撮れるであろう2作目が、どれだけ素晴らしいものになるか楽しみです」と期待の言葉を掛けさせてもらうと、監督からは「いやいや、単純にそういうもんでもないですからね」とのご返答。そう認識しておられるなら、何も心配は要りません。

 小林監督の次の仕事は、助監督。けれど、只の助監督ではありません。ポン・ジュノ(「殺人の追憶」「グエムル」)、ミシェル・ゴンドリー(「エターナル・サンシャイン」「恋愛睡眠のすすめ」)、レオス・カラックス(「ポンヌフの恋人」)の3人の世界的監督が、東京を舞台にしたオムニバス映画を撮るというプロジェクトが進行しており、この秋に順次撮影が行われているのですが、彼は、ミシェル・ゴンドリーを助監督として補佐する仕事に就かれているのです。故に、「かぞくのひけつ」が上映される『甲賀映画祭』にゲストで来場する事も、不可能に。「その経験を、2作目に活かして下さい」。最後に、映画のパンフレットにサインを頂戴します。ようやく、小林監督とお話できました!

 脚本家の荒井晴彦氏と懇意なOさんが、その弟子筋に当る吉川さんと話しておられる所へ混ぜてもらいます。彼女に「シナリオが掲載されているパンフを購入したので、後でじっくり読ませてもらいます」と話し掛けると、一般客と一緒に観たのは今日が初めてだったと教えてくれました。「笑い声が聞けて、嬉しかったです」と笑顔。「いつかまた、脚本作がここで上映されればいいですね」とエールを送らせてもらったのでした。
 間もなく終宴となり、当館のスタッフに協力して実行委員の皆さんが片付けを始められている中を、ゆっくりと出口に向かいます。「かぞくのひけつ」の中村プロデューサーがおられたので、足を止めて少しだけ会話。しばらくは、プロデューサーとしての仕事が続くのだそう。「今度は監督としてのデビュー作を引っ提げて、帰ってきて下さい!」との私の言葉に、顔をくしゃくしゃにされた様が印象的でした。

 出口の所で友人とKさんたちが待っており、4人で宿へ向かいます。Kさんに、相部屋の連れ(本日から参加のWさん)がいるのを私が知ったのは、この時が初めて。Wさんは確か福岡にお住まい。2人は昨年宿で知り合い、今年は相部屋にしたのだとか。Wさんの顔には見覚えが・・・。昨年、私が川沿いの道を歩いている時、宿の場所を訊いてきたのが彼女だったのです。地元の人間に見えたのでしょうか。会期中1〜2度会場で見かけ、映画祭参加者だったのかと記憶に残っていたのです。Wさんの方は、道を尋ねた相手が私だったとは覚えていなかったため、感激の再会とはいきませんでしたが、ざっくばらんに好きな俳優を打ち明け合ったりしながら、快適な気温の夜道を15分ほど歩き続けたのでした。そういえば、初日は友人と2人、昨夜はKさんが加わり3人に、そして今夜は4人。明日の夜、もう1人増えているなんて事はあるのでしょうか? 残すは、最終日のみ━━。

湯布院映画祭レポート07(15)

 最終日も、良い天気で明けました。予報では、だんだん崩れていくとの事。いつも通りコンビニで朝食を済ませた後、由布院駅へ。昨日のようにゲストのお見送りがあるのではと期待したのですが、残念ながら・・・・。小林監督は本日帰京される筈ですが、飛行機利用のため、当地からはバスで発たれるのでしょう。実行委員が車で空港までお送りするのかも。アートホールでしばらく涼んでから、会場へ向かいます。

■26日(日)■ ≪旧作「鬼火」・・・ 10:00より≫
 客席は、6割ぐらいの入り。昨年の映画祭から、この日曜日の午前中は、知られざる傑作や才能溢れる新人の紹介・発掘のための上映枠という扱いにされ、前回は「脱皮ワイフ」というかなり好評を博した作品が発掘されました。今年は、その枠の第2回作品だとの紹介のされ方はしませんでしたが、1956年の旧作ですから、” 知られざる傑作 ” としてのプログラムになるのでしょう。上映後には、ロビーで『おしゃべりカフェ』の時間が設けられています。
【ガス会社の集金人・忠七(加東大介)は、腕っこきだが独り身を持て余している。真夏の炎天下、訪れた家々で目にする様々な人間模様が、彼に不遜な欲望を抱かせ、それは遂に一軒のあばら家にて爆発する・・・・。主人公の心理描写と共に、庶民の生活感情を的確に描写した出色の中編劇映画(リーフレットの映画紹介より)】。

 千葉泰樹監督。とても46分の作品だとは思えない中味の濃さでしたが、『おしゃべりカフェ』で感想を話し合いたくなるほどには惹き込まれませんでした。友人は、またまた参加するとの事なので、別れて私は、外へ昼食に。当地の名物料理の一つに、鳥天(鶏肉の天ぷら)というものがあります。前から知ってはいたのですが、注文したことがなかったので、その定食を頼みました。まあ、普通の味。そういえば、金曜日の昼食の親子丼も鶏肉の料理でした。お店での食事が2回とも同種の料理になったのは、たまたま。

 会場へ戻ると、『おしゃべりカフェ』も間もなく閉店に。友人は急いで近くのコンビニに走り、昼食を仕入れてきます。これから上映される「実録・連合赤軍」は3時間10分の大作ですから、足を伸ばせる通路脇の席の確保が必須。全日券の列もそれなりに出来てきたので、私が先に並んでおく事にします。その前に、宮崎のSさんが「連赤」上映後のシンポを途中で抜け帰路につかれる予定のため、お別れの挨拶を交わしておきます。1泊2日の短期滞在でしたが、後日ミクシィの方でお目当ての作品たちに満足した旨記されていたので、何より。

■26日(日)■ ≪「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」・・・12:20より≫
 センターエリアの右側通路脇、 前から3番目の席が取れました。友人は、私と並びでなく、 すぐ前の通路脇の席へ。並びだと内側の席の者は、 足を組んだり姿勢を変えたりしにくいですから、こういう選択に。場内は瞬く間に満席状態となり、通路の床に何かを敷いて座る人も多数。昨年は通路に補助イスを出しましたが、据え付けの座席より高くて、両脇のエリアに座った客が、補助イスの客の頭にスクリーンを隠され、後で不満の声が上がったようですから、それで今年は折り畳みイスの搬入は止めたのでしょうか。実は、私も昨年その被害を受けた者の1人。この拙レポートは実行委員の方にも読んで頂いているみたいですから、昨年の分を目にして、補助イスの弊害を把握してもらえたのかもしれません。
 床に座っての3時間強は凄くきついでしょうが、前評判の高い本作は、お尻の痛みを忘れさせてくれるぐらい、ぐいぐいと劇中に引きずり込んでくれるのでは。失礼ながら、私は若松孝二監督の熱心な観客ではなかったため、今日の入りも完全な満席にまではならないのではと予想。友人は今朝、「『連赤』は、九州中からファンが詰めかけ、大変な事になっちゃうぞ」と確信を持った発言を。結果は━━。前の席の友人の肩を叩き、私の不見識を認める言葉を伝えたのでした。

 さて、舞台挨拶にゲストの皆さんが登場されます。昨夜のパーティーと同じ顔ぶれの6人。もちろん、揃いのTシャツ姿です。まずは、俳優陣からスタンドマイクの前へ。ARATAさん、「立ち見ですごいことになってるんですね! 観終って、心の中に何かしら持ち帰ってくれたら、嬉しいです」。並木愛枝さん、「こんなにたくさんの人がおいで下さり、ありがとうございます。今日を特別な日にして下さい」。地曳豪さん、「あの時と同じような空間に連れて行ってくれる映画です。皆さんの反応が楽しみです」。大西信満さん、「どうか、口コミでの宣伝をお願いします」。大友プロデューサーは、「スタッフも役者も、言葉にならない思いで作りました。じっくりご覧下さい」。若松監督は6回目の『湯布院』なのだとか。「この前の作品では呼んでもらえなかったので、ちょっとひねくれてたよ」と笑わせてから、「この映画だけは、どうしても撮りたかった! 撮るまでは、地獄にも行けないから。みんな、よく頑張ってくれました!」。監督からは熱い闘志が、他の5人からは静かな気合が、ひしひしと伝わってきました。袖に退かれる皆さんを拍手でお送りした後、上映後のシンポも引き続きこの会場で行ないますとのアナウンスが流されます。
【 ” この作品は、俺に撮らせろ! 引退してもいい ” とまで言った71歳の巨匠・若松孝二の念願の作品が完成した。連合赤軍・浅間山事件である。徹底的に実録にこだわって作った3時間10分の大作は、あの時の世界と日本を吹き荒れた風と、その時代を生きた若者を描き、今の日本を撃つ壮大な叙事詩なのだ(リーフレットの映画紹介より)】。

 長尺に、幾分おそれをなしていたのですが、意外に短く感じられました。問題作には違いないし、作られる価値のある映画だという事に異論はありませんが、観ていて気持ちの良い内容とは言えないので、終わってホッとしたというのが率直な感想。
 連合赤軍事件の映画化といえば、2001年の本映画祭で上映された「光の雨」(高橋伴明監督)や、翌年公開された「突入せよ!『あさま山荘』事件」(原田眞人監督)があります。本作は、” 実録 ” の名にふさわしく、連合赤軍がどのように結成されていったかを描く所から始め、『あさま山荘』事件までを正攻法でスクリーンに再現します。これは、3時間超の上映時間があればこそ可能になった事。そう、製作は若松プロなのです。大手映画会社の製作であったり、他から資金提供を受けていたりしたなら、ここまで監督の思い通りには撮れなかったでしょう。連合赤軍ものの決定版と言っていいかもしれません。本作の公開は、来年2月。2008年の年末には、映画賞レースを賑わすことになりそうです。

 ところで、” 連合赤軍 ” で思い出してしまうのが、1976年に「青春の殺人者」でデビューし、いきなり『キネマ旬報ベスト・テン』第1位を獲得した長谷川和彦監督のこと。1979年の2作目「太陽を盗んだ男」も同ベスト・テンで2位に。なのに、3作目として ” 連合赤軍を撮る! ” と宣言しながら、実現せぬまま、早30年近くが経っているのです・・・・。新作は一体、いつ観られるのでしょうか。この「実録・連合赤軍」を観て、私はもう ” 連赤もの ” は十分という気になりました。ゴジこと長谷川監督も、本作を観て、出来るならそう思ってほしいもの。いい加減、この題材にこだわるのを止め、実現可能な別ジャンルの新作に取り掛かってもらいたいのです。あれだけの才能をしまい込んだままにしておくのは、どう考えても勿体なさすぎますから。
 ━━ つい、脇道に入ってしまいました。要は、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」は、構想しだしてからだとたぶん30年以上も ” 連合赤軍の映画化 ” に取り組んできた長谷川監督に、題材への執着心を捨て去らせてしまうかもしれないぐらいの渾身の作品になっているという事が言いたいのです。シンポも、白熱必至でしょう。

■26日(日)■ ≪シンポジウム(「実録・連合赤軍」)≫
 舞台上にテーブルと椅子が用意され、ゲストの皆さんが席につかれます。左から、大西さん・地曳さん・並木さん・ARATAさん、若松監督、大友プロデューサーの順。ガラスコップに入れた麦茶が置かれ、シンポジウムが始まります。前回この場所で実施されたのは、確か2003年の「昭和歌謡大全集」(篠原哲雄監督)の時。主演の松田龍平くんがゲストで、収容人数がここより少ない2階のいつもの会場ではお客さんが入りきらないと見込んでの処置でした。最前列狙いの女性ファンが走って移動する危険度も考慮されていたかもしれません。その後も、例えば近いところでは昨年の「長い散歩」(奥田瑛二監督)も超満員となり、実行委員サイドはここ上映会場でシンポを行なうつもりでしたが、監督が ” お客さんとの距離の近い2階の会場で ” と要望されたため、そうはならず。という訳で、4年ぶりのホールでの開催になります。
 もう少しだけ補足すると、「昭和〜」のシンポはゲストが龍平くんとプロデューサーの2人しかおらず(篠原監督は別の作品の北海道ロケのため欠席)、どちらも雄弁な方ではなかったし、やはり舞台上とそれを見上げる客席とでは距離があるため発言も出にくく、全然盛り上がらなかったのです。今回も、その点を懸念したものの、始まって間もなく、場内の空気の濃さから、” 心配無用! ” と直感できました。映画だけ観て出て行く人もおられたので(シンポは300円必要)、客席は8割程度の埋まりようですが、これだけの人数を2階に詰め込もうとするのは無理。開催場所の選択は、ここで正解だったでしょう。

 まずマイクを握られたのは、若松監督。劇中、連合赤軍内部でメンバー同士が自己批判を求めるシーンが何度も出てきます。それになぞらえて、横に並ぶ出演者たちを見やりながら「みんなにも自己批判していってもらおうか」(笑)。大友麻子プロデューサーは脚本も監督と共同で担当されました、「2年前に監督から作りたいという事を聞かされ、関わるようになったのですが、まさか現場にずっと立ち会ったり、完成後もこういう場に出たりする所までやる事になるとは思っていませんでした。シナリオは、主に現場でのリライト(手直し)を担当しました」。本映画祭のパンフには、各映画の関係者からのコメントを掲載していますが、彼女は、監督から ” まず、あいつに書かせろ ” というぐらい信頼されているそうです。
 最初にフィルムをつなげた時の版は、4時間。編集も監督がご自分でされ、「自由に出来た!」と最終的には納得の3時間10分に。「嫌なものを嫌だと言える自由な時代が、60年代から70年代にかけてだった。現代は、嫌だと言えない時代だよね」。本作に出演した多くの若手俳優たちは、” どうしても、若松作品に出たい! ” と手弁当も辞さずの覚悟で撮影に臨んだと聞きます。ゲスト俳優の4人からは、どのように考えて役を演じたかが熱く語られていきました。

 客席からの発言コーナーとなり、いきなり私の前に座っている人が挙手して司会から指名され、場内サポートの実行委員からマイクを受け取ります。そう、口火を切ったのは友人で、監督と同じ宮城県出身であり若松作品の熱心なファンだとの簡単な自己紹介から始め、まるで原稿を読んでいるかのような理路整然とした適度な長さの弁舌を披露。かと思えば、「いよいよ監督の最新作が観られるというので、昨夜は、遠足前の小学生状態であまり寝られませんでした」(笑)とのくだけた打ち明け話も。私などは、頑張って発言する時も、言いたい内容を伝える適切な言葉がなかなか出てきませんし、言い漏らしがあるのに後で気づくことばかりですから、前の席に座っている誰かさんが何だか眩しく見えて仕方ありませんでした。まるで最高の手本のような今の発言から、『湯布院』の観客たちの半端でない映画への打ち込み具合を知らされ、ゲスト席の皆さんの背すじが伸びたのではないでしょうか。

 監督から、Tシャツ・ポスター・チラシと全てARATAさんのデザインである事が紹介されます。また、[あさま山荘]のロケは、宮城県内にある監督の別荘をそれに見立てて、本当にぶっ壊したとの飛びっきりの裏話も。「みんなに観てもらって、再建したいね」。応援の拍手が湧きます。客席からは活発に発言が続きますが、どの人の口調からも熱気が感じられました。また、質問に対するゲスト俳優たちの受け答えも、ほんとに真摯であり、相当な覚悟で役になり切り演じ抜いたのだなという事がひしひしと伝わってきました。
 ラスト近く、[あさま山荘]に立てこもったメンバーの1人・10代の少年から、意外なほどストレートなある叫びが発せられます。場内を見回しながら監督は、「あれは、連合赤軍のメンバーに対する自己批判だけでなく、観客に対して・・・世の中の人みんなに対して言いたかったこと。ダメな事をダメだと言えるようにと。台本にはなくて、前の日に急遽作ったシーンでしてね」。2本分の上映時間なのだからとゲストが倍の人数になったのがプラスに作用した事もあり、シンポもずっしりと充実したものになりました。

 最後も当然監督から、「名古屋で『シネマスコーレ』という映画館(何度か入った事あり)を経営してますが、この映画を作るため担保に入れました。その館で、東京より早く12月22日に封切ります。来年の3月いっぱいはやる予定です。これからまだ、3本ぐらい撮りますから! また呼んで下さい」。退場するゲストの皆さんに送られる拍手は、大人数に比例したかのように長く大きなものでした。ヒットして、別荘の再建が叶いますように! でも・・・・、もしその資金が出来たとしても、若松監督のことですから、次の映画の製作費に充ててしまわれるのではないでしょうか。2年後か3年後、7回目のゲストとして新作を引っ提げ、おいで頂きたいものです。

湯布院映画祭レポート07(16)


 17時を回った外は、どんよりと曇っています。昨年の最終日は夜になって雨が降り出し、ファイナルパーティーへは傘をさして向かいました。今年も、そうなるのでしょうか。友人と2人、軽く食事を摂りにいつものコンビニへ。
 会場へ戻ると、出て行くとき既に出来ていた前売券入場者の列が、玄関から公民館の外にまで伸びています。クロージング作は中村勘三郎主演ということで、中高年の方が多いみたいな・・・・。あ、いつものことか。

■26日(日)■ ≪特別試写「やじきた道中 てれすこ」・・・ 18:00より≫
「連赤」のシンポが予定より10分遅れで終了したこともあり、準備の都合等で入場開始は17時50分と結構ぎりぎりの時間。友人と、「連合赤軍」の時と同じ席につきました。たちまち満席に。昨年の「フラガール」を上回るぐらいの混みよう。両脇の壁際や、最後列の客席の後ろのスペースにはパイプ椅子が出されましたし、通路の床に腰を下ろす人も。客席には、浴衣や着物姿の女性もちらほら見受けられます。時代劇に似合っており、興趣が増す中、「人人」の時のようにビデオメッセージが映される事に。中村勘三郎さんからのもので、本作には口を滑らせてまずいような秘密などないでしょうから、安心して観ていられます。「案外、何もない映画でして(笑)。湯布院へは何度か行った事がありますが、温泉につかったような気分になってもらえれば、と思っております」。
 舞台挨拶には、久保田プロデューサー、音楽担当の安川氏、俳優ゲストの柄本明さん、そして平山秀幸監督の順に袖からご登場。柄本さんのご子息の佑(たすく)くんも、今やかなりの売れっ子俳優ですが、彼は本映画祭の実行委員でもあるのです(たぶん開催期間限定での)。私が知っている範囲では、昨年まで確か3年ぐらい連続で、普通に実行委員としての仕事をこなしている彼を色んな場所で見かけたものでした。司会が、柄本さんを紹介する際、佑くんは今年は欠席だが、代わりに娘さんが実行委員に加わっている旨教えてくれました。

 挨拶も登場順に。プロデューサーから、「7月にニューヨークでワールドプレミアを行いました。日本で一般のお客さんに観てもらうのは、今日が初めて。ジャパンプレミアになります。ぬる〜っと(温い感じで)観て頂ければと思います」。昨夜の「人人」に続いての安川氏は、「昨日はありがとうございました。打って変わって、楽しい映画になってますので!」。柄本さんはわざと自嘲気味に、「18代目(中村勘三郎丈)が来てくれるか、キョンキョン(小泉今日子)だったら、盛り上がるのに、ボクでほんとに申し訳ない。しょっちゅう来てるので、珍しくも何ともないというか・・・・。実は昨年の秋、撮影前に腰の手術をしましてね。10月6日に手術、12日に退院。で、すぐ撮影に入りまして。見所は、最初に撮った首吊りシーンですかね」。監督が補足する感じに、「あれは、腰をけん引する 代わりになるかと思いましてね(笑)。この映画は、7年ぐらい前の下北(下北沢)の飲み屋での話がきっかけで誕生しました。だら〜っと、のんびり観て下さい」。
【歌舞伎の名優・中村勘三郎と、映画・演劇界の怪優・柄本明の弥次喜多コンビが、歌謡界の華・小泉今日子の足抜け女郎を助けての道中記に、落語ネタの奇怪な生き物 ” てれすこ ” 話がからんで展開する奇妙奇天烈、抱腹絶倒、人情・心情・恋情満載の娯楽時代劇の大作。『湯布院』上映の夢が今、実現!(リーフレットの映画紹介より)】

 映画は━━。挨拶にもあったように、ぬる〜っと、だら〜っと観るのがふさわしい内容。もう少し緩急をつけてほしかった! 正直、物足りませんでした。いま、この映画を作る意味が・・・、狙いが・・・、どの客層に観てもらいたいのかが、よく分かりません。素晴らしかった「しゃべれども〜」に続く平山監督の新作なので、期待していたのですが。  それでも、柄本さん演じる喜多八が酔っ払って暴れまわる時の、CGでないのが信じられないような凄い形相など、見所もそれなりに有り、最後まで飽きずに観られましたし、こういう映画をクロージングにして気分良く映画祭を締めくくろうという映画祭側の意図にも、一応は納得できました。シンポは、いつもの2階の会場です。友人は、私以上にお気に召さなかったらしく、宿へ戻って休憩する事に。2年前に彼が参加した際の「寝ずの番」も同様でした。どうも、クロージング作と相性が悪いみたいです。彼とは、パーティー会場で落ち合うことになります。

■26日(日)■ ≪シンポジウム(「やじきた道中 てれすこ」)≫
 時刻は、夜の8時頃。会場への階段や2階廊下の壁に貼られていた色んな新作映画のポスターも、全てはがされています。明日の朝までには、元通りにしておかなければなりませんから。それに気づいて、祭りの終焉が近づいているのが実感され、一瞬寂しさが込み上げます。女優ゲストなしのため、特に席にはこだわらず。3列目ぐらいの真ん中辺りに腰を下ろしました。だんだんと埋まっていき、最終的にはいつものように立ち見も出ましたが、上映ホールの入りは「連合赤軍」と同じぐらいに超満員でも、日曜夜のシンポに参加しようかという人は日中ほどにはおらず、この会場で十分なのです。
 ゲストの皆さんは、左から久保田プロデューサー、柄本さん、平山監督、音楽担当の安川氏の並びで席につかれます。左端が、司会者席。舞台挨拶でも簡単に触れられましたが、監督に本作のきっかけをお訊きします。「2000年ぐらいに下北の飲み屋で、当時は勘九郎だった中村さんや柄本さんと呑んでた時に ” やりたいね ” と盛り上がり、シナリオは6年ぐらい前に出来てました」。最初はお客さんに感想を述べてもらおうという事になり、司会が「なるべく、今回の映画祭で発言していない人、中心で」とリクエスト。━━そうなると、なかなか手が挙がるものではありません。雰囲気がもっとリラックスしたものになるまで、ゲストのお話をお聴きすることに。柄本さんも、舞台挨拶で披露した手術ネタの詳細バージョンを、「去年の10月1日まで、腰が曲りながら芝居してました。2日に入院。3日がこの映画のクランクイン。手術を6日にしまして、12日には退院したその足で現場へ。いきなり首吊りシーンでした」(笑)。司会からは「大丈夫だったんですかね」と素朴な質問。「大丈夫じゃないでしょう!」(笑)と柄本さんは、愚問に苦笑い。「監督、どうだったんですか?」と司会が矛先を変えるも、「撮影のスケジュール決めるの、僕じゃないんで」(笑)とかわされます。が、「半分ぐらい、ボクの責任かな」と、もう時効なので、監督は共犯を告白。

 ワールド・プレミアをやったものの、世界に向けて作った訳ではない、とプロデューサー、「結果的にそうなれば良いのですが」。勘三郎さんの襲名披露があったため、撮るのが丸2年遅れたのだそう。ニューヨークへは安川氏も同行。主演の3人、監督、プロデューサーとも取材を受けていたので、観客と一緒に観たのは彼ひとりでした。「一番笑いが起きたのは、お堂のシーン。あの ” 大魔神のように現われる ”━━」(笑)。客席には、勘三郎ファンで東京から初めておいでになった和服の女性もいらっしゃいます。
 監督から、本作への取組み方について、「昔は2本立てが普通でした。その1本みたいな精神で作ったものです。主演の3人は、ほっとくと何をやらかすか分からないので、アドリブは一切禁止。間寛平さんにも、動かないでくれと頼みました」。出演者の顔ぶれはかなり豪華ですが、キャスティングは楽だったそう。プロデューサーが、「旅ものなので、ゲスト的な役者さんは出番が1〜2日で済むんです。撮影期間の2ヶ月ぐらいの内には、どこかで都合のつく日がありますからね」。「一番演出が大変だったのは、タヌキが出ている所でした」(笑)と監督。

 客席からの主な発言内容をまとめて紹介すると、「ストーリーらしいストーリーがなく、エピソードの羅列みたいな映画。ほんとに温泉につかっているような感じでした」「友人がニューヨークで観て、薦めてくれました。とても楽しめ、これからの人生でにんまりと思い出すでしょう」「キョンキョンが出てるのだから、彼女が歌って踊るシーンもあって良かったのでは」「今回特集した”大映京都撮影所”の重厚なセットと比較し、ちょっと薄っぺらに見えて仕方ありませんでした」・・・等々。最後の感想に対しては、「今回は明るく軽めを意識したので、ああいう感じにしてます」とのプロデューサーからの説明が。

” てれすこ ” について尋ねられ、監督は「いい夢をみせてくれるもの。タイトルにまでなるとは思いませんでした。” 何ですか? ” と正体を訊かれて、答えるのは難しいんですよね」(笑)。「キャッチーな言葉なので、良いのでは」とプロデューサーが補足。監督が ” そうそう、思い出した! ” という風に、「松江で【 ”てれすこ” 有ります】という看板を見かけたんですよ。あの辺りでは、いなり寿司の事をこう呼ぶんですね」。
 そろそろ、最後のシンポにも終わりが━━。プロデューサーは、「本日は、もしかして満員で入場できないかもしれないと言われながらも当日券の列に並ばれている方たちを見て、感激しました」と頭を下げられます。「自分の撮った作品が映画祭で上映されるのはいいですね」と監督、「特にここはシンポジウムがありますから。つまらないと言われるのさえ、観客の生の声が聴けるので嬉しいんです」。柄本さんは、あの凄まじい形相で暴れ回るシーンの裏話を、「若い頃2年ほど会社勤めをしてまして。その当時の上司が、社員旅行のバスの中で酒を飲んで振り返る時の顔が凄かったんです。酒乱だったんですね。いつか使ってやろうとずっと思ってたんで、すっきりしました。実は、腰の手術後、撮影中にまた体調を悪くして5日ほど入院したんですが、復帰して最初に撮ったのが、この大暴れシーンでした」(笑)。とても信じられません。そういう大変さを笑い話にして語る役者バカが、ここにも1人。だからこそ、しょっちゅうおいでいただくのです。「口はばったいけど、『幕末太陽伝』のような映画をめざした」と監督が打ち明けられた「やじきた道中 てれすこ」の公開は、11月10日の予定。  この会場で叩く今年最後の拍手がやんだ後、皆、名残り惜しそうに席を立ちます。さあ、パーティー会場へ。外の天気が気になるところ。

湯布院映画祭レポート07(17)

■26日(日)■ ≪ファイナルパーティー ・・・ 22:00より≫
 天気は持ちこたえてくれており、傘は必要ありませんでした。 歩いて7〜8分の所にある[ ゆふいん健康温泉館 ]。宿から一番近い会場です。 毎年、各ホテルや旅館の若手料理人たちが、通常の仕事を終えてから駆けつけてくれ、 創作料理の数々を振る舞ってくれるのが、このファイナルパーティー。 お馴染みの光景なので、特に不思議な事とは思っていなかったのですが━━。 9月下旬に某テレビ番組で、湯布院の町おこし成功の秘訣が取り上げられていました。 ここは、町全体が一つの温泉宿という考え方なんですね。満室であれば、 その宿がお薦めする別の宿の空室状況まで確認するし、料理の研究会も定期的に開催し、 宿の自慢料理のレシピも公開する。だから、今夜のように、 色んな旅館やホテルから若手料理人が集結して腕をふるってくれるというイベントも 可能になったのでしょう。また一つ、湯布院の魅力を見つけることが出来ました。
「てれすこ」のシンポが予定より早く終わったため、会場への到着も開宴時刻の 10分以上前。間もなく友人もやって来て、円形テーブルにつきます。料理人の方々は壁際の定位置についておられ、その前の細長いテーブルには、綺麗な見た目でも食欲をそそる創作料理の数々が並べられています。小さ目のフライパンを使って手早く一人前ずつ作っていき、熱々の料理を出すコーナーも。人数も増え、皆さん料理に群がり始めたので、遅れてなるものかと、テーブルの取り皿と箸を手に、いざ出陣! 持ち帰り、食べ始めた頃、昨夜のオフ会でご一緒したIさんとLさんが2人連れで入って来られたのが目に止まります。うまくアイコンタクトに成功し、お2人は私たちのそばにやって来て下さいました。どちらも、気持ちの良い食べっぷり。特にLさんはほっそりしておられるのに、どこにあれだけの量が入っていくのでしょう!? 張り合わなくて、良かった。食べながらだと気楽にお喋りでき、昨夜のパーティーの項で記したようにお2人とは後日ミクシィで友人関係を結ばせて頂き、以来、日常的にやり取りさせてもらうようになったのでした。

 この会場は庭園とも間の仕切りなくつながっており、じっくり話したい人などは、ざわついていないそちらへ移動されたり。Iさんはこの後、「連赤」組に張りつき、ARATAさんを数分間独占してしまった模様。同組ゲストの皆さんは、会場のあちこちで一般参加者と気さくに、そして真面目に作品について語り合っておられました。
 いつしかパーティーも半ばを過ぎ、ゲストの皆さんをステージ上にお呼びして、ご挨拶をお願いすることに。「連合赤軍」組から。若松監督は、「自分の借金で作ったので、ダメとけなされようが構いはしないと。でも、面白いと言ってもらえて、嬉しかった!」。地曳さんはお得意の大きな肉声で、「ほんとに有難うございました〜っ!」。ここ湯布院では秋に行われる『牛喰い絶叫大会』も有名ですが、彼には是非そちらへも出場してもらいたいもの。大西さんは、「食べ物も空気も美味しく、それから色んな人から優しい言葉を一杯もらいました。口コミで、この映画を広めて下さい!」。並木愛枝さんは劇中でのきつい役柄とは一変、「口を揃えて ” いい作品だ ” と言って頂いて。監督はじめスタッフや私たち皆、命がけで撮った作品だったので━━」と、声を詰まらせます。今映画祭で一番ぐっとくる挨拶でした。声の出ない沈黙を、一斉に送られた拍手がたちまち消し去ったのは言うまでもありません。ARATAさんはスマートな容貌とは異なる内面を露わにして、「有り難い言葉をたくさん貰いました。もっと、皆さんの感想を聴きたいです。この後も、どんどん声を掛けて下さい!」。最後はプロデューサー、「多くの人に観てもらい、熱いメッセージを頂き、ありがとうございました。それから━━、監督、命がけで作って下さり、ありがとうございました!」。ステージを下りる皆さんに、あちこちからエールの掛け声が飛びます。

 続いて、「てれすこ」組は平山監督から、「前回『笑う蛙』で来た時、” 今度は時代劇を持って、やって来ます ” と宣言しました。夢が叶い、満足しています。次の作品でも呼んで貰えるように頑張ります」。柄本さんは渋い顔で、「『連合赤軍』と『てれすこ』が同じ日に上映されるなんて、何か申し訳ない気持ちで一杯です。誰が、こういうカップリングを考えたのか(笑)。毎回来ているような感じですが、また一つ、今後とも宜しくということで」。久保田プロデューサーももうお馴染みさん、「3回目の『湯布院』になります。『ごめん』、『スクラップ・ヘブン』、そして『てれすこ』と、予算的には着実にステップアップしています。次どうなるかは、『てれすこ』のヒット次第。11月10日公開なので、宜しくお願いします!」。安川氏は、前にゲストで来られた時には温泉に入るのを忘れていたのだそう。「今回はちゃんと入りました。色んなあったかい人に囲まれて嬉しかったです!」。
 作品ゲストでない方たちからも。映画評論家で、田中徳三監督と藤村志保さんのトークショーの司会をされた野村正昭氏は、「またこういう機会があれば、呼んで下さい」。同じく渡辺武信氏は、本映画祭を見守り続け育てて下さったお1人、「最初の頃は実行委員も皆20代だったので、私がシンポなどの司会をしていました。あれから30年が経ち━━。我が家には古里というものがありませんが、いつしかここがそういう存在になりました。続いてもらわないと、日本の映画界も私の家も困るので、どうか、そこの所を宜しく頼みます」。渡辺氏が父親的存在なら、脚本家の荒井晴彦氏は兄貴分、「2本ぐらい書き上げてるんだけど、なかなか進まなくて」。その2本とも、裏の事情は、氏と懇意なOさんから教えてもらったり、氏に直接お訊きしたりしていますが、どちらも本当に ” 観たい! ” と思える作品。どこかに、慧眼のプロデューサーはいないのでしょうか!?

 次に、3年前に引き続きポスターの原画を担当された安井寿磨子さんが紹介されます。まだ、滞在されてたんだ! 初日のパーティーでご挨拶するのを忘れ、強く悔やんでいたのです。「今回で2回目の映画祭となります。前回もとってもよくして頂いて。ちょうど今、東京で個展を開催中なのですが、ほったらかしにして、やって来てしまいました。こんなに映画に愛と情熱を持っている人が多いのに、びっくりです。美味しい日々を、ありがとうございました!」。
 続いて、実行委員長の伊藤雄氏までステージに出られたということは、早、締めの時間? 「今年もありがとうございました。この6月にヨーロッパの映画祭へ、招待されて行ってきました(23日の『こおろぎ』舞台挨拶の項参照)。カウリスマキやキアロスタミ(どちらも世界的な映画監督)とも会いました。賞もない映画祭で、『湯布院』に似ています。とても面白く過ごしました。あちらは白夜で、最終上映は何と朝の7時から(笑)。学んだ事は、これからの映画祭に活かしたいと思います。それから━━、” カウリスマキを3年以内に呼ぼう! ” と考えています」。参加者からの゜反応が、どよめきとなって屋内に反響します。「フィンランドのお金で(笑)。そういうシステムがあるみたいなんですね。映画祭も、面白く変わっていきたい。・・・・いきます!」。
 実行委員全員が、ステージ上に集合します。30数名が、ひと言ずつ挨拶。印象に残っているものを幾つか挙げさせてもらいましょう。「実行委員は、明日まで続きます」━━片付けやゲストのお見送りなど、仕事はまだあるんですね(感謝!)。「今夜は蒲団の中で、総括します」(笑)━━これは、「連赤」の劇中の台詞を引用してのもの。「8月以外にも訪れて下さい。観光でもいいし、5月には『ゆふいん文化・記録映画祭』もやっていますから。

 再び実行委員長がマイクを握り、「たぶん来年もやります。来年は初めて8月31日が最終日となりますので」。このファイナルパーティーまで参加しようとすると、遠方からの参加者が地元へ戻れるのは、翌月曜日の昼から夜にかけて。当然その日は、仕事等休まなければなりません。毎年8月最後の日曜日を最終日とする日程で開催している本映画祭ですが、今まで31日が日曜日の年に限って、1週間前倒しにして24日を最終日としてきていたのです。たぶん、学校の先生や学生の者は、始業式の行われる9月1日は休みにくいだろうからと(私の推測)。それが、来年は特例として━━。「オリンピックが8月に開催されるため、いつもの時期だと日程がぶつかり、私もなんですがオリンピック期間中はどうしても仕事を休めない実行委員がいるものですから」。それで、公民館のロビーに、今年初めて【来年の日程】が張り出されていたんですね。私にとっては、その方が好都合! 毎年、20日〜25日のどこかで実家の仕事の手伝いに駆り出されており、『湯布院』への出発日との日程調整に結構神経を使っていましたから。「来年も、よろしく!」と頭を下げる委員長に合わせて、ステージ上の全員が同様に。参加者たちも拍手を送りながら、礼を返します。
 進行上はこれにてお開きですが、みんな、すぐに立ち去る訳ではありません。そこ、ここで、「また来年!」の別れの挨拶が交わされますし、まだまだ話し足りない人たちも。私は急いで、安井さんの姿を探します。良かった、無事、発見。声をお掛けして自己紹介すると(安井さんとの関係は、初日のパーティーの項を参照願います)、親しげな表情をみせて下さいます。彼女は、先ほどのゲスト挨拶のように気さくで話しやすい方なので、しばらく映画祭や映画に関する雑談をさせて頂き、最後にパンフレットにサインをお願いしたのでした。どこにしてもらったかというと━━、ご自身の原画が使われた表紙に、その絵に合ったイラストまで描き込んで下さったのです。「今度も、3年後ぐらいに3度目のポスターデザインを担当され、またここへおいで下さい!」と申し上げ、お別れしたのでした。これで、もう憂いはありません。

 その筈だったのですが・・・・。安井さんとお話ししている間に、立ち寄る所があるとかでLさんが先にお帰りになってしまわれたのです。「来年、また!」のご挨拶が出来ませんでした。Iさんは帰りがたく、この後も結構遅くまで居座り続けた(失礼!)ようですが、私は明朝の出立が早いこともあり、また、同宿の女性2人をガードして帰る役目もあるので、Oさんに簡単な挨拶をしてから、昨夜と同じメンバーで会場を後にしたのでした。
 今夜はさすがに、夜道の連れが1人増えることはなく、4人のままです。群馬県高崎市在住の友人と、茨城県水戸市にお住まいのKさん。2人がこの先、東京の映画館で何度も遭遇する事になろうとは・・・・!? 宿までの5〜6分は、あっという間。Lさんに言えなかった「来年、また!」の挨拶を交わし、それぞれの部屋のある棟へ別れたのでした。

 映画で大事なものの一つに挙げられるのが、エンドマークを出すタイミング。” そろそろ終わりだな ” との読みを裏切るようで申し訳ないのですが、本レポートはもう少し続くのです。DVDやCDには、ボーナストラックというものがあります。これから記そうとする内容はそんないいものではありませんが、レポートに登場してくれた人たちのその後や、来年初参加予定の映画祭について触れておきたいものですから。それに、今年の映画祭を総括しておきたくて。
 何はともあれ、” ラッキーセブン ”━━ 7回目の参加となる『第32回湯布院映画祭』は、盛況の内に幕を下ろしたのでした。

湯布院映画祭レポート07(18)

■27日(月)■ ≪ボーナス・トラック≫
『青春18きっぷ』で帰る私は、6時前にそ〜っと起床。友人の目を覚まさせることなく帰り支度ができ、6時10分頃、まだ就寝中の友人に声をかけて半分起こし、簡単に挨拶して宿を出発します━━「来年の『湯布院』か、3月の『高崎』で、また」。
 そう、私は毎年3月下旬から4月上旬にかけて開催されている『高崎映画祭』への初参加を決めているのです。同映画祭は、前年に公開された日本映画について各賞を選出しており、3月下旬の日曜日に行われる授賞式には、受賞した多くの男女優や映画人が出席する事で有名。「ゆれる」で今年の同映画祭の【主演男優賞】を受賞した香川照之さんが、キネマ旬報に大好評連載中の「日本魅録」の5月上旬号の回で『高崎映画祭』に寄せる熱い思いを綴った名文は、同映画祭の実行委員たちを感涙にむせばせただけでなく、各地の映画祭の関係者たちに ” 香川さんをゲストに呼びたい! ” との思いを抱かせたに違いありません。私も、彼に『湯布院』に参加してもらい、”「日本魅録」でどう取り上げられるか知りたい。読んでみたい! ” と強く願ったものでした。香川さんは、私が参加できなかった2002年の『湯布院』に「美しい夏キリシマ」のゲストとして来場される予定になっていたものの、確か直前でスケジュールの都合によりキャンセル。少なくとも、私が初参加した2000年以降ではゲストでおいで頂いていない筈です。「日本魅録」で話題にされるかどうかは別にして、近い内、是非ご参加いただきたい名優です。
 ━━で、来年、そういう『高崎映画祭』の授賞式が開かれるのは、3月23日(日)の見込み。前から ” いつかは・・・! ” と狙っていた映画祭ですが、ちょうど転勤族の友人が昨年の夏より同地に住んでいるので、初参加を決めたという次第。決定の意志を固めたのが、今年の始め頃。その後、『高崎映画祭』行きには、イベントが2つ付加されることになります。

 昨夏の『湯布院』のクロージングで上映されたのは「フラガール」。私は同作に、完全にノックアウトされてしまいました。だんとつのベストワン! 3月にリリースされたDVDも、特典映像付きのものを購入し、それについてミクシィで熱く書き続けていたら、同作つながりで、映画の地元・福島県の3人の方、それから「フラガール」を映画館で8回観たという東京にお住まいの方とミクシィ友だちになれたのです。いずれも、金曜日に湯布院から昨年の映画祭のパンフを郵送させてもらった方々。東京のBさんは5月に、「フラガール」の舞台となった『スパリゾートハワイアンズ』(旧『常磐ハワイアンセンター』)へ行き、福島県の3人の方の内お2人とオフ会の場を持ち、夢のようなひと時を満喫! その報告の中で、東京から『ハワイアンズ』へは無料送迎バスが出ている事が分かり、私の脳裏に『高崎映画祭』行きと合体させるプランが浮かんできたのです。ちゃちゃっと調べてみて、すぐGOサイン! 6月の時点で既に、『ハワイアンズ』に来年3月の宿泊予約を入れてしまったのでした。
 東京のBさんも同行して下さる事に! 現地では、地元の3人にも集まって頂きオフ会を開催しますし、ロケ地巡りの予定も。その日が待ち遠しくてなりません。尚、福島県の3人の内のお1人は、ボランティアスタッフとして「フラガール」に関わっておられた方で、何と本編にも、只のエキストラ以上の役で出演されているのです。彼は、松雪さんと豊川さんのからみの場面に2分間ぐらいずっと映っているという大抜擢! 何しろ、スクリーンに4人しか登場していない見せ場のシーンの中での1人なのですから。

 もう一つのイベントは。『ハワイアンズ』から東京に戻って来た夜に、私がずっと応援している脚本家の今井雅子さん、及び彼女のHPの常連の方と3人でこれまたオフ会の場を持つ事にしているのです。昨年「子ぎつねヘレン」「天使の卵」の2本の脚本作が公開された今井さんは、昨夏の『湯布院』の開幕前日に、初めてのお子さんをご出産! 数ヶ月は休業状態でしたが、かなり前からもうばりばり執筆中で、現在は超多忙な日々が続いています。復帰後のお仕事で正式に製作等の発表がなされているものはまだ有りませんが、来年3月までには幾つか具体化して、オフ会の席では色々興味深い舞台裏など聴けることでしょう。2002年6月に、彼女の映画化脚本デビュー作「パコダテ人」(宮アあおい主演)が大阪で公開された際、その映画館でお会いして以来ですから、約6年ぶり3度目の対面になります。

 また、つい最近、予定が追加されそうな感じに━━。今井さんは、私が昨年初参加した『函館港イルミナシオン映画祭』の【シナリオ大賞】に2年連続で準入選となり、その内の1本が「パコダテ人」として映画化された事が、脚本のオファーが次々舞い込むようになる大きなきっかけでしたが、その【シナリオ大賞】の2004年の受賞作が、「うた魂(たま)♪」(夏帆主演)というタイトルで映画化され、来年の春休み時期に初日を迎えるのです。今井さんたちとのオフ会を開く予定にしているのが金曜日の夜。「うた魂(たま)♪」は、ちょうどその翌日の土曜日ぐらいに公開されるのではないでしょうか。もしそうなら、舞台挨拶のある回に入場し、それから高崎へ向かうつもり。
 もう、十分すぎるイベント数。” これ以上は入りません ” という嬉しい悲鳴状態になりました。次回の拙レポートは、これらの模様を記録していきたいと考えています。

 ああ・・・・、随分と話が長くなりました。そういえば、宿を出発したものの、まだ駅にさえ辿り着いていません。青空をバックに由布岳が山頂までくっきりと姿を現わす中、まずはコンビニへ。朝食を摂ってから、由布院駅へ行き、7時前の電車に乗り込みます。JR九州は日中の普通電車の乗り継ぎ連絡が悪く、岡山駅までの全線を『青春18きっぷ』利用で済ませようとすると、6時前の始発に乗車しなければなりませんが、久しぶりに会った友人をそんなに朝早く起こしたくなかったし、私自身もまともな睡眠時間を取りたかったので、この時刻の電車に。来年も、もしこれぐらいの電車に乗るなら、夏休み明けの9月1日の朝ですから、通学の生徒たちで車内は今までよりかなり混んだ状態になるかもしれません。そうそう、会場に展示されてあった大魔神像は、後日、由布院駅に寄贈される事になったそうです。来年、当駅に降り立つとき、しっかりと出迎えてくれますように!

 友人は東京在住当時はよくチラシをまとめて送ってきてくれ、高崎へ転勤になってからも週末には頻繁に東京の映画館へ通っているのでチラシの収集は続いており、今回も貯まったそれらを持参し、宿で手渡してくれたのでした。電車の座席で、たぶん百枚を超えるそれらに有難く目を通していけば、大分駅までの1時間はたちまちの内。ここから小倉駅までは、特急列車となります。小倉駅から先は、また普通電車へ。途中で1度乗り継げば、17時過ぎに到着予定の岡山駅まで運んでいってもらえます。昼食は、小倉駅で買った名物のかしわ弁当。チラシを楽しんだ後の車中では、本レポート用に取った大量のメモの整理に勤しんだり、行きつけのHPやミクシィへの『映画祭報告』用原稿の下書きを続けたのでした。

 さて、今回の本レポートで、そしてもちろん映画祭のシンポ等で大活躍してくれた高崎の友人は、『湯布院』が終わってからも、スピードを弛めていません。10月上旬には、2年に1度開催の『山形国際ドキュメンタリー映画祭』へ6度目の参加! また、下旬の『東京国際映画祭』へも。延々というか、だらだらと丸2ヶ月以上も本レポートを書き続けてきたため、その『東京国際』の話題にも触れる事になります。
 友人は、まず9月に入って間なしに、東京の旧作を上映している映画館で、同宿だったKさんや、1泊2日の超強行軍で『湯布院』に初参加されたHさんに遭遇。きっと、これまで何度も同じ館内で観ていたに違いありません。まだ知り合っていなかっただけで。私は、多忙な友人がミクシィにはまると映画館通いに少なからず支障をきたすのではと敢えて避けてきましたが、Kさんはさっさとお誘いメールを送り、彼をあっさりとミクシィの世界に引きずり込んでしまいました。これまでのところ上手く利用しており、案ずるより生むが易し。お陰で、ミクシィの彼の日記により、『山形』や『東京』の各映画祭レポをタイムリーに目にすることが出来ました。

 友人とKさんは、『東京国際』で何本も同じ映画に入場します。打ち合わせしていた訳ではなく、確か300本ほども上映作品がある中、観たい映画が偶然それだけ一致していたということ。人気の同映画祭の各チケットは、発売開始早々に売り切れるものがほとんどみたいで、ちょうど『山形国際』に参戦していた友人の代わりに、そのチケットは私が岡山市内の『チケットぴあ』の窓口に1時間半前に並んで入手したのでした(山形市内には現在『チケットぴあ』の営業窓口がないとの事)。1枚は売切れだったものの、頼まれた7枚中6枚を無事購入。
 その内の3枚を『TOHOシネマズ六本木』でまとめて使う日のこと。友人とKさんは、1本目は同シネコン内で別々の映画を鑑賞。事件は、このあと起きるのです━━。

 Kさんが2本目に向かう途中、ロビーのソファーに ” ある人 ” が座っているのに気がつきます。男優で年間何本もの映画に出演しておられるN島さんが、オフの日には、食事の時間も惜しみおにぎり持参で映画館をハシゴされているのは有名な話。Kさんは『湯布院』でも積極的にゲストに接近するタイプではないので、今まで何度か東京の映画館で彼を見かけていましたが、1度も話したりせずじまい。その少し前、ミクシィで私が ” そんな時には、せっかくなんだから声でも掛けてみたら ” と励ましていたのが効いたのか、この日彼女はとうとう話しかけ、つい先日この『東京国際』で上映された彼の主演作を、彼の舞台挨拶付きで観た事とその感想を伝えて、何と握手までしてもらったそうなのです。
 Kさんは2本目のシアターへ入場。同じ映画を観ることになっている友人も、モギリの立っている入口へ向かうと、そこで鉢合わせしたのは━━。そう、N島さん。目が合ったため黙っているのも失礼かと「こんにちは」と思わず挨拶すると、訝しげな表情をしながらもN島さんは「こんにちは」と返してくれたそう。3人は同じ映画を観ることに! しかもKさんの席は右端だったのですが、N島さんはその1列後ろの左端。チケット購入のタイミングがあと何秒かずれていたら、2人は並びの席で観ることになったかもしれません。「もしそうなっていたなら、とても平静ではいられないので、きっと立ち去っていました〜」とKさん。友人も、Kさんと同様、N島さんの主演作を観ていたので、後で彼の元へ行き、映画の感想を述べると共に握手をしてもらう事に。こんな話を聞かされ、羨ましくないと言えば嘘になります。来年の『湯布院』には ” N島さんをゲストに! ” とリクエストしておきましょう。
 また、Kさんは、『東京国際』の別々の上映会場で、『湯布院』の常連の方を2人見かけたそう。内、1人はよく喋っていた人だったので、手を取り合って再会を喜び合ったのだとか。少し前、N島さんと握手したばかりなのを忘れて(泣)。こんな風に映画の輪が広がっていくんですね。

 その『東京国際映画祭』で朗報がもたらされました。<ある視点>部門に出品されていた「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」が見事、【作品賞】に輝いたのです! 公開に向け、弾みがついたことでしょう。12月には、私が昨年初参加した『函館港イルミナシオン映画祭』のクロージングで上映される事も決まっています。若松監督と大西信満さんがゲストで来場される予定。真夏の『湯布院』から、真冬の『函館』へ。雪に覆われた会場で観る本作は、ひと際リアルに心に迫ってくるかもしれません。撮影時の雪で苦労した話とかも聴けるのでは。
 今夏の『湯布院』で上映された作品やゲストの方々に関する最新情報には、こんなものも有ります。青山監督の「こおろぎ」が、11月上旬に開催される『大阪アジア映画祭』で上映される事になりました。一般公開が何とか実現すれば良いのですが。また同映画祭の中で、田中徳三監督と吉本芸人・河内家菊水丸さんとのトークショーも行われるそうです。最後に、「かぞくのひけつ」の小林監督が助監督としてついていたミシェル・ゴンドリー監督作品の撮影について。先日、無事に終了したとの事。「かぞくの〜」の東京での12月の公開に向け、今度は自作の宣伝に力を入れなければ。ヒットして、早く2作目が撮れますように!
 昨夏の『湯布院』でも、関西発の「幸福(しあわせ)のスイッチ」(安田真奈監督)という作品に惹き込まれ、パーティー会場等でお話しした監督自身のファンにもなって、ネットを通じての交流が現在も続いています。そして、今年も「かぞくのひけつ」という大阪発の快作と幸福な出合い方をすることが出来ました。2度ある事は、3度・・・・。来年も、関西発の映画が上映されることに期待です。

 本レポートにも、ようやくゴールテープがはっきりと見えてきました。マラソンで、競技場に戻ってきてトラックを周回しだしたという所でしょうか。過去最長のレポートになってしまったのは、まず間違いなし。映画にたとえると、「連合赤軍」の編集前の4時間版を上回るぐらいかもしれません。目を通して下さった方々、読むのに骨が折れ、申し訳ありませんでした。まあ、これも、主にネットを通じて年々人の輪が広がり、レポート中の登場人物が増えてきたのが大きな理由の一つかなとも思います。今年とうとう2桁に突入した映画祭パンフの送付先は、来年どれくらいになるのでしょう?!
 昨夏の『湯布院』では、『宮崎映画祭』実行委員のSさんにお会いしました。今夏の『湯布院』の前には、「かぞくのひけつ」つながりで『甲賀映画祭』実行委員のAさんとミクシィで知り合いに。両映画祭には絶対いつか初参加するつもりですし、『函館』や復活なった『ゆうばり』にも是非、もう1度! その来年3月に新たなスタートをきる『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』は、偶然にも『高崎映画祭』と開催時期がダブるのです。数年間ずっと参加し続けた『ゆうばり』ファンの友人は、地元・高崎の映画祭よりも、北海道へ飛ぶ公算が大。あくまでもプログラム次第ですが・・・・。私に付き合い『高崎映画祭』の授賞式に出るよりも、” 自分が本当に行きたい方を選択してほしい ” と意志表示済み。2005年に彼に同行して『ゆうばり』に初参加しいっぺんに大ファンになった私としては、復活を祝して1人でも多くの人に夕張に集結してほしいですし、何年後かには2度目を考えているだけに、新生『ゆうばり』の様子を実際に現地で確認してきてもらいたいとも思っているものですから。一緒に授賞式に参加できればもちろん嬉しいですが、福島や東京で色んな方にお会い出来る事になっているので、今夏の『湯布院』で4日間を共にした友人とは、高崎で会えなくてもそれほど寂しさを感じずに済むでしょう。

『湯布院レポート』を書き綴っていく時には、何度か過去の映画祭を思い出します。2回目以降は何らかの形で参加レポートを記していますので、読み返せば結構細部まで脳裏に再現できるものですが、初参加した2000年の回の記憶は、私の頭の中のビデオデッキがかなり老朽化してきたこともあり、年を経ると共に確実に薄れていっています。「風花」(相米慎二監督)の上映においては、開幕の直前にゲスト参加が決定した浅野忠信さんがサプライズみたいな感じで舞台挨拶に登場されたのですが、それさえも ” 本当に来てくれたんだったかな・・・? ” と首をひねるようになる始末。そうなるのが恐くて、今回はいつも以上に細かな部分まで記録してしまったのかもしれません。別の面から言い訳すれば、記述の程よい細かさは、読んでいて臨場感を味わえます。映画祭に実行委員として加わるほどのバイタリティのない私にとって、『映画祭レポート』を書くという事は、自分に出来る一番の応援活動かなと都合よく思い込んでいるのです。目にされた方が、いつの日か初参加を思い立ってくれたなら、と。ですが、行きたい気持ちになってほしいのに、ここまで詳細すぎると、読んで ” 行ったような気 ” になってしまい、それだけで満足してしまわれているのでは、との懸念が。まあ、それはないでしょうけど・・・・。

 7回目の参加ともなると、常連の方たちとはほとんど顔なじみになり、普段はあまり口をきいたことのない人でも、道で出会ったりすると自然に挨拶程度の会話はします。ですが、今まで会場で1年ぶりの再会を喜び合うほどの間柄になれた人は残念ながらいませんでした(倉敷のOさんとは、地元でも時々顔を合わせていますので)。今年初めて、宮崎のSさんがそういう存在になってくれました。来年以降は、同宿のKさんや、オフ会でお目にかかったIさん・Lさん、それに超強行軍でご参加のHさんなどが同様の存在になって下さるに違いありません。これも、ミクシィのお陰です。
 このままいけば、年々、同窓会的色合いが濃くなっていくでしょう。1年に1度、湯布院に集まって元気な顔を見せあう。映画が面白くて、ゲストも豪華なら、” 儲けもの ”。━━ん?! 主客転倒ではないですか。でも、こういう気持ちになっていく事こそが、『湯布院』の一番の良さと言えるのかも。

 ファイナルパーティーの席上、実行委員長が挨拶の中で言っておられた ” カウリスマキを3年以内に呼ぶ ” 件。これが実現すれば、同窓会的色合いよりも、映画とビッグゲストの存在が、みんなの参加目的の首位の座を圧倒的多数で占めることになるでしょう。来年は、オリンピックイヤーで実行委員長が公私の私の部分で忙しそうだし、交渉期間が短いので、招聘はまず無理。2年後か、やはり3年後になるのでしょうね。それが4年後になっても、それ以上かかっても構わないから、どうか、アキ・カウリスマキ監督を『湯布院』にお招きして下さい! 氏の日本公開における最新作「街のあかり」は、岡山では11月中旬にようやく公開予定。いっそう興味深く観られるでしょう。

 さて、ボーナス・トラックもこれで終了です。ディスクの取り出しボタンを押して、ジャケットに収めて仕舞い、近日中に銀行に出向くとしましょう。本レポート終了までたっぷりと私を楽しませてくれたお礼も兼ねて、映画祭宛て、支援金の振込みを行うために。最後までお読み頂いた『湯布院映画祭』参加経験者の方々、また会場でお会い出来ますように。未経験者の方々、いつの日かご一緒できれば良いですね。いつの間にか、来年の『湯布院』まではあと10ヶ月に。3月には『高崎映画祭』行きが控えていますから、次回の第33回までは、あっという間のような気がします。そうであってほしいもの!

                                     (終)